日本歴史地名大系 「糸数村」の解説 糸数村いちかじむら 沖縄県:沖縄島南部玉城村糸数村[現在地名]玉城村糸数(いとかず)・喜良原(きらばる)屋嘉部(やかぶ)村の北西に位置し、西は富名腰(ふなくし)村。地内には玉城按司三男糸数按司の築城と伝える糸数(いとかず)グスクや根石(にいし)グスクがある。絵図郷村帳・琉球国高究帳に村名がみえ、同高究帳では高頭三〇二石余、うち田一九九石余・畠一〇三石余。間切集成図では集落の東には「糸数旧城」(糸数グスク)がみえ、南には「樋川」と記される。また当山(とーやま)村の番所前から西に進み大里(うーざとう)間切に向かう道から当村の南で南東に分岐し、東風平(くちんだ)間切に至る道が通じていた。糸数地頭職は万暦四〇年(一六一二)一一月三日から翌四一年まで薛氏三世薛長禎糸数親雲上賀重(薛姓比嘉家家譜)、その後蒙氏一世蒙茂昌糸数親雲上宗延(「氏集」・蒙姓糸数家家譜)、崇禎一六年(一六四三)八月一二日から同二〇年まで向氏八世向美材糸数親雲上朝誠(向姓湧川家家譜)が勤め、乾隆五年(一七四〇)には夏氏糸数親方賢厚の在任が確認でき(「中山世譜」附巻)、嘉慶二年(一七九七)には夏廷璋糸数親雲上であった(阮姓宮城家家譜など)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by