日本歴史地名大系 「紀三井寺村」の解説
紀三井寺村
きみいでらむら
[現在地名]和歌山市紀三井寺
慶長検地高目録では高五八〇石余、小物成四九石五斗四升二合。吉原組に属し、同組大差出帳(和歌山大学蔵)によれば、家数二二六で内訳は大庄屋一・庄屋一・肝煎三・本役七三・半役三一・行力一・山番二・人足役三五・無役七九、人数八歳以上男五一五・女五三六、牛八、大船四・小船六六。高五九四石八斗八升一合、新田畑の高七一石五斗九升九合。作間稼として「塩浜稼日繕普請入土仕候、田畑塩浜所持不仕者ハ小商旅人宿茶屋又ハ日用稼仕候、尤大門より和歌浦へ旅人を舟ニ而自分渡し仕候」と記され、ほかに稲・木綿のほか、菜・大根・雑穀等少々を作っていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報