和歌川
わかがわ
最上流部は紀ノ川から取水し、古代以来農業用水として利用されてきた宮井川で(→宮井)、紀ノ川の南側をほぼ西流する。大門川となって中之島から旧城下地域に入って南流し、東から流れ込む和田川を合せて毛見で和歌浦湾に注ぐ。河口西岸は和歌浦から南に延びた砂嘴片男波で、和歌浦と東岸紀三井寺の間に入江をつくる。
「平家物語」巻一〇(横笛)によると、元暦元年(一一八四)三月、屋島にいた平維盛が「阿波国結城の浦より小舟にのり、鳴戸浦をこぎとほり、紀伊路へおもむき給ひけり、和歌、吹上、衣通姫の神とあらはれ給へる玉津嶋の明神、日前・国懸の御前をすぎて、紀伊の湊にこそつき給へ」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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