紀三井寺(読み)キミイデラ

デジタル大辞泉 「紀三井寺」の意味・読み・例文・類語

き‐みいでら〔‐みゐでら〕【紀三井寺】

和歌山市紀三井寺にある救世観音宗の寺。正式名称は紀三井山金剛宝寺護国院。宝亀元年(770)、唐僧為光の開創と伝える。もと真言宗西国三十三所第2番札所境内に三つの井戸があるところからの名といい、大津の三井寺(園城寺)に対して紀州の「紀」を冠して呼ぶ。
《札所の二番目であるところから、賢い人を一番と見立てて》愚か者のこと。
「心だての二番なる―のともがら」〈仮・浮世物語・一〉

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精選版 日本国語大辞典 「紀三井寺」の意味・読み・例文・類語

き‐みいでら‥みゐでら【紀三井寺】

  1. [ 1 ] 和歌山市紀三井寺にある救世(ぐぜ)観音宗の総本山、護国院の通称。寺域に三か所の霊水があるので、大津の三井寺(園城寺)に対して紀州の意の「紀」の字を冠したこの名がある。西国三十三所の第二番札所。
  2. [ 2 ] 〘 名詞 〙 ( 紀三井寺が順礼の札所の二番目であるところから、賢者を一番に見立てて ) 愚者の意の隠語。〔仮名草子・浮世物語(1665頃)〕

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日本歴史地名大系 「紀三井寺」の解説

紀三井寺
きみいでら

[現在地名]和歌山市紀三井寺

紀ノ川河口平野の南部にそびえる名草なくさ(二二八・六メートル)の西側中腹に所在。山麓の楼門を入って表坂二三二階の石段を登ると、標高五〇メートルほどのところに平坦地が開け、本堂以下諸堂舎が建つ。和歌浦わかのうら湾を一望のもとに見下ろす景勝の地である。紀三井山金剛宝寺と号し、護国ごこく院がその正称である。もと真言宗勧修かじゆう(現京都市山科区)末であったが、昭和二三年(一九四八)分離して救世観音宗の総本山となり、現在、山内子院六ヵ寺をはじめ末寺一四ヵ寺を包括している。西国三十三所観音霊場の第二番札所で、本尊は木造十一面観音立像。紀三井寺の称は、山内三ヵ所にある霊泉(清浄水・楊柳水・吉祥水)にちなむといわれるが、付近の地名「毛見」(吉備)に基づく毛見けみ寺より出たとする「続風土記」の説が正しいであろう。

〈大和・紀伊寺院神社大事典〉

〔草創〕

寺伝の縁起(紀伊国名所図会)によれば、開基為光は唐国の僧であるが、仏法弘通を志して来朝、勝地を求めて当山に至り、袋谷ふくろだに(千手谷)の老松(灯明松)の下で千手観音像を感得、さらに等身の十一面観音像を刻み、一宇を開いてこれを安置し、千手観音は秘仏として納めた。宝亀元年(七七〇)のことであったとする。文献では園城おんじよう(三井寺、現滋賀県大津市)の行尊の記と伝える巡礼記(寺門高僧記)に「五番、金剛宝寺等身十一面 紀伊名草郡、願主為光聖人 字紀三井寺」とみえ、応保元年(一一六一)一月、園城寺の覚忠の記と伝える巡礼記(同書)に「二番、(紀伊)国名草郡金剛宝寺、字紀三井寺、御堂五間南向、本尊十一面、願主為光上人」とみえるのが早い。平安末期には著名な観音霊場として成立していたことが推定される。現在、藤原時代の木彫五体を所蔵するが、このうち本尊の十一面観音像が最も古風で一〇世紀を下らない作とされ、当寺の開創年代を示唆している。

〔沿革〕

草創以後、中世末に至る文書は天正の兵乱に失われたといい、記録に乏しいが、諸書に散見する記録によって沿革をうかがうことにする。嘉禎四年(一二三八)九月二五日の日前・国懸宮四方指写(日前宮文書)によれば、毛見郷は同宮領に属し、名草山は「三井之神山」と称されている。日前国懸宮神主家第五七代国造紀俊文の詠歌にも「名草山とるや榊のつきもせず神わざしげき日のくまの宮」とあり(風雅集)、名草山は日前国懸ひのくまくにかかす(現和歌山市)とゆかりの深い神山とみなされていたらしい。「紀国造系譜」によれば、第四八代良忠は社務八年ののち当寺に退隠して「紀三井寺国造」とよばれ、第五四代宣親(法諱妙蓮)も隠居後、山内に禅境亭を興して住み、「後紀三井寺国造」とよばれた。

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改訂新版 世界大百科事典 「紀三井寺」の意味・わかりやすい解説

紀三井寺 (きみいでら)

和歌山市の南部,名草山の中腹にある寺。西国三十三所第2番の札所。紀三井山金剛宝寺と号し,護国院を正称とする。紀三井寺の称は,山内3ヵ所の霊泉にちなむというが,付近の地名〈毛見(けみ)〉にもとづく毛見寺より出たものか。寺伝では,770年(宝亀1)唐僧為光(いこう)の開創というが,それを裏づける史料遺物がなく,本尊十一面観音像の作風から見て,平安中期の開創であろう。文献では行尊の巡礼記に見え,平安末期には観音霊場として知られた。中世には法橋と称する俗体僧(14人)が寺を管理し,穀屋比丘尼が堂塔修理の勧進に当たった。豊臣秀吉の南征後,本願坊(護国院の前身)が創建され,真言宗勧修寺末に属したが,第2次大戦後独立して救世観音宗総本山となり,末寺14ヵ寺を包括。本尊以下仏像5体(藤原時代),楼門・多宝塔(室町時代),鐘楼(桃山時代)が重要文化財に指定されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「紀三井寺」の意味・わかりやすい解説

紀三井寺
きみいでら

和歌山市紀三井寺にある寺。真言宗系の救世観音(ぐぜかんのん)宗の本山。紀三井山金剛宝寺護国院(こんごうほうじごこくいん)が正式名称。境内に三つの清泉があり、滋賀県の三井寺(園城寺(おんじょうじ))と区別して、紀三井寺とよばれる。西国(さいごく)三十三所第2番札所。770年(宝亀1)唐の僧、為光が来日、十一面観音を安置して開創したと伝える。平安時代には花山(かざん)法皇の第2番札所指定、後白河(ごしらかわ)法皇の勅願所、鳥羽(とば)法皇の臨幸などがあった。鎌倉時代、叡尊(えいそん)を招いて梵網戒(ぼんもうかい)を説かしめ、神宮領19郷の殺生禁断状を捧(ささ)げた。山名、桑山、浅野、徳川氏など代々の領主が保護した。楼門、鐘楼、多宝塔、千手観音(せんじゅかんのん)像(奈良時代の為光作と伝えるが、藤原中期のもの)、十一面観音像2体、梵天(ぼんてん)・帝釈天(たいしゃくてん)像は国の重要文化財。境内には松尾芭蕉(ばしょう)をはじめ俳人の句碑が多い。

[田村晃祐]


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百科事典マイペディア 「紀三井寺」の意味・わかりやすい解説

紀三井寺【きみいでら】

和歌山市紀三井寺町にある救世観音宗の寺。紀三井山金剛宝寺護国院と号す。770年唐僧為光の建立と伝えられる。本尊は十一面観音で,西国三十三所第2番札所。密教ゆかりの三つの霊泉があるのでこの名がある。本尊のほか楼門,多宝塔,鐘楼などの文化財がある。山を背に和歌浦に面し眺望がよい。
→関連項目和歌山[市]

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デジタル大辞泉プラス 「紀三井寺」の解説

紀三井寺

和歌山県和歌山市にある寺院。正称は紀三井山金剛宝寺護国院。救世(ぐぜ)観音宗総本山。770年開創と伝わる。西国三十三所第2番札所。本尊の十一面観音、多宝塔などは国の重要文化財に指定。桜の名所。

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事典・日本の観光資源 「紀三井寺」の解説

紀三井寺

(和歌山県和歌山市)
さくら名所100選」指定の観光名所。

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