紀伊国衙跡
きいこくがあと
「和名抄」(刊本)に「国府在名草郡、行程上四日、下二日」と記される。跡地は不明で、地名から府中の地域内であったと考えられているが、遺構は明らかでない。「続風土記」は当地の歓喜天社(現府守神社)が「紀伊国神名帳」にある「従四位上府守神」にあたるとし、府守は国府守護の神であるとしたうえで、神社西の「平林」の地を跡地とする。名草郡の紀ノ川河南地域は、古墳時代以来日前国懸宮を奉斎する紀直一族が勢力を有しており、大和政権側もその力を無視できず、国府も河南を避けて河北に置かざるを得なかったと考えられる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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