朝日日本歴史人物事典 「納富介次郎」の解説
納富介次郎
生年:天保14(1843)
明治期における窯業界の先覚者。肥前(佐賀)藩の支藩小城藩の家臣柴田花守の子で,介堂と号した。若いとき父に伴われて有田に行き,絵を父に学び,また南画を長崎で学んだ。文久2(1862)年中国に赴き政情を視察,帰国後鍋島藩の顧問となって上海貿易を始める。明治に入り,6(1873)年ウィーン万国博に川原忠次郎と共に渡欧し,石膏成形法などを学んで帰り,9年にはアメリカのフィラデルフィア万国博に審査官として出張。11年に東京牛込に江戸川製陶所を興し,20年には石川県工業学校,27年富山県工業学校,33年佐賀県工業学校を創立するなど,窯業技術の育成に努め,産業の基盤作りを行った。
(矢部良明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報