デジタル大辞泉 「詩歌」の意味・読み・例文・類語
しい‐か【詩歌】
1 漢詩と和歌。「
2 詩・和歌・俳句など韻文の総称。「近代
[補説]書名別項。→詩歌
[類語]詩賦・詩・うた・韻文・
古辞書や訓点資料には、上昇調や下降調のアクセントを持つため、あるいは強調表現等のために出現する長音の発音を文字化したと思われる、長音表記の例がしばしば見出される。これは古代日本語が音節の長短を音韻として区別しなかったためであったが、南北朝から室町時代頃を境として、現代語のように長短を音韻として区別するようになる。そのため、多くの長音形は消滅したが、特定の語は、原典に存在していた長音表記形が典拠となって室町時代以後に継承されて生き残ることになった。詩歌(シイカ)はそのような語群の中の代表的な例。イ列長音以外にも、例えば夫子(フウシ)、女房(ニョウボウ)、披露(ヒロウ)などがある。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
短歌雑誌。1911年(明治44)4月、前田夕暮(ゆうぐれ)の白日社(はくじつしゃ)から創刊。創刊同人は夕暮のほか尾山秋人(しゅうじん)(篤二郎(とくじろう))、富田砕花(さいか)、近藤元(はじめ)、狭山信乃(さやましの)ら。第1期(1918年10月まで)は夕暮の、自然主義から外光派への転移時代で、山村暮鳥(ぼちょう)、室生犀星(むろうさいせい)、萩原朔太郎(はぎわらさくたろう)らも活躍した。第2期(1928年4月~57年5月)の前半は、夕暮の自由律短歌運動の時代で、立原道造(みちぞう)も加わった。この間、夕暮は没し(1951)、67年(昭和42)以降は長子の前田透(とおる)が復刊、主宰した。『詩歌』系歌人には、熊谷武雄(くまがいたけお)、金子不泣(ふきゅう)、米田雄郎(ゆうろう)、矢代東村(やしろとうそん)、中島哀浪(あいろう)、川上小夜子(さよこ)、原三郎、香川進、中野嘉一(かいち)らがいる。84年1月に透は輪禍にて没、追悼号をもって廃刊。
[前田 透・篠 弘]
出典 シナジーマーティング(株)日本文化いろは事典について 情報
…詩という呼称はもともと中国の文芸上の一様式をさすものであり,江戸時代までは詩といえばいわゆる漢詩をさしていたが,明治以降,西欧文芸におけるポエトリーpoetry(英語)またはポエジーpoésie(フランス語)の理念が導入された結果,現在では,詩といえば狭義には文芸の一部門としての新体詩およびそれ以後の近代詩,現代詩をさしながら,広義には言語芸術のうちで散文に対立する韻文芸術の総体を包括的にさすこともある言葉となった。しかし日本固有の韻文芸術は伝統的に詩とは呼ばれず,歌や句といった別種の呼称を現在でも守っているから,狭義の詩はしばしば短歌や俳句や歌謡と並ぶ表現様式の一つとして扱われる一方,広義の詩を言いあらわすためには便宜的に〈詩歌〉という言葉が使われたりする。さらに,具体的な個々の作品としてのポエムpoem(英語),poème(フランス語)と,抽象的な概念としての前記ポエトリーまたはポエジーが,日本語ではともに詩と呼ばれていることも,問題の所在をわかりにくくしている。…
…処女歌集《収穫》(1910)により自然主義の歌人として牧水と併称された。11年,白日社から《詩歌》を創刊して,萩原朔太郎らに発表の場を与え,多くの詩人,歌人を育成した。《生くる日に》(1914)で外光派的歌風に転じ,《水源地帯》(1932)では自由律短歌を唱導,晩年,定型に復した。…
※「詩歌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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