紫園村(読み)しおんむら

日本歴史地名大系 「紫園村」の解説

紫園村
しおんむら

[現在地名]野迫川村大字紫園

池津(いけつ)川流域、中津川(なかつかわ)村の北に立地。十二村(じゆうにそん)郷川波(かわなみ)組に属する。慶長郷帳では十二村二〇〇石のなかに含まれ、幕府領。延宝検地で村高は一〇・八七石となった。天保六年(一八三五)の乍恐御尋ニ付以書付奉申上候(北股区有文書)によると、天明五年(一七八五)、他国ものが経営する紫園銅山の実態を把握していないのは過怠であるとして村役人が預大名芝村藩から処分を受け、銅山は閉山となっている。

「民業鉱山志料」(県立奈良図書館蔵)に当地の鉱山開発について次のような記事がある。文政一一年(一八二八)江戸浅草並木町山屋徳三郎が紫園山地続き、字金峯山(きんぶさん)の銅山開発につき村の意向を尋ねてきた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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