留山(読み)とめやま

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

留山
とめやま

一般の利用を禁じた山林。樹木や森林の福利作用を保全する目的から一定の山林の樹木の伐採を禁じることは,奈良時代に始っている。江戸時代には用材確保のための美林はもとより保安林,狩猟地,入会権で係争中の山林などが藩主によって留山とされた。また,入会山の利用の一形式として,権利者集団としての共同体が直轄して支配し,個々の権利者の利用が認められない山林も留山といわれる。 (→留木 )

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世界大百科事典 第2版の解説

とめやま【留山】

(1)近世の領主直轄林(御林(おはやし))のうち,とくに林相のすぐれた山林の範囲を限り,住民の立入りを禁制した保護林。留林,建山(たてやま),禁林ともいう。尾張藩が自領木曾山林において1665年(寛文5)に制定したヒノキの留山(木曾山),同期に弘前藩がヒバの美林(津軽ヒバ)を囲いこんだ留山などがよく知られている。広葉樹等の伐採は許可されるが特定の針葉樹は伐採を禁じているような場合は留木(とめぎ)という。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

留山
とめやま

御林(おはやし)などと呼ばれた近世の領主林のうち、入山・伐採を厳格に禁止された山林のこと。近世初期の大建設時代、幕藩領主の囲い込んだ優良森林資源は、搬出可能な地域から大量に伐採され、寛文・延宝期(1661~1681)には資源桔渇状況に陥った。また、この時期は山野を対象とした耕地開発も進み、山野の水土保全機能が低下して、本田畑への災害を招くようになった。以後、享保期(1716~1736)頃までに、領主はこうした状況を解消するため、領主林については広く伐採禁止林(留山)を設定して優良森林資源を保護・育成するとともに、水土保全機能の向上に務めた。その結果、領主林からの伐採量は急減し、山元の村々では百姓の稼ぎの場が縮小した。森林資源は徐々に回復するが、伐採規制だけでは不十分であったため、領主林に百姓や地方給人(じかたきゅうにん)・陪臣(ばいしん)などが植林し、その収益を領主と植林者とが一定割合で分ける部分林(ぶわけばやし)制度の導入で、より積極的な資源育成に着手する藩が多かった。[加藤衛拡]
『農林省山林局編『徳川時代に於ける林野制度の大要』(1954・林野共済会) ▽所三男著『近世林業史の研究』(1980・吉川弘文館)』

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