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紫雲寺潟新田 しうんじがたしんでん

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世界大百科事典 第2版の解説

しうんじがたしんでん【紫雲寺潟新田】

越後国蒲原郡にあった紫雲寺潟という東西約2里,南北約1里の湖沼を干拓してつくった新田。現在の新潟県北蒲原郡紫雲寺町,中条町,加治川村の一部。江戸時代中期に多くみられたいわゆる町人請負新田の中で,最も大規模かつ典型的なものである。信州高井郡米子村の御用硫黄商竹前権兵衛・小八郎兄弟が企図して1726年(享保11)幕府に開発許可を出願し,そのさい江戸横山町の成田佐左衛門を請人にたてた。のち越後柏崎の宮川四郎兵衛とその養子儀右衛門からの資金・技術面での協力も得た。

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世界大百科事典内の紫雲寺潟新田の言及

【越後国】より

…財政基盤の充実策として新田開発も促進された。1730年(享保15)将軍吉宗の享保改革の一環として阿賀野川河口の松ヶ崎掘割工事が行われ,紫雲寺潟新田が開発された。これは信州米子の竹前権兵衛が出願し,これに江戸の会津屋,柏崎の宮川その他の資本を投下して行ったもので,1736年(元文1)検地の結果では1647町歩の田畑を得た。…

【干拓】より

…近代の京都市南の巨椋池(おぐらいけ)(大池)干拓地では淀川に通ずる排水口である一口(いもあらい)に強力な電力排水ポンプが設置され(1934),これが巨椋池干拓地を支える最大の柱となっている。歴史的に著名な越後紫雲寺潟新田の陸化に際しては,初めから排水に苦心していたが,ひと夜暴風雨によって排水の河筋が決壊し,はからずも一挙に排水しえたと記しているのは,これらのことが予想外の事件で禍福相転じた例として興味深い。なお海岸遠浅地での土砂の滞留による浅海化を促進するため,有明海などでは海中に木,石を投棄したが,これをよりどころとして,土砂が波の動きにつれてたまり,浅海化を一段と促進したこともあるとみられている。…

※「紫雲寺潟新田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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