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宮川四郎兵衛 みやがわ しろべえ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

宮川四郎兵衛 みやがわ-しろべえ

1653-1740 江戸時代前期-中期の開拓者。
承応(じょうおう)2年生まれ。越後(えちご)(新潟県)柏崎町の豪商。測量,土木にくわしく,越後全域で新田開発をおこなう。新村52村をひらき,世に越後瑞賢(ずいけん)と称された。高田藩より名字帯刀をゆるされ,大肝煎(おおきもいり)格となる。元文5年1月16日死去。88歳。名は言胤(ことたね)。

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朝日日本歴史人物事典の解説

宮川四郎兵衛

没年:元文5.1.16(1740.2.13)
生年:承応2(1653)
江戸中期,越後国柏崎町(柏崎市)の豪商,新田開発者。名は言胤。本家宮川氏は慶長18(1613)年納屋町庄屋兼浦方支配,船役御免。分家宮川氏2代目言胤は測量,築堤及び農事万般に詳しく,越後国岩船・蒲原・三島・刈羽・魚沼の5郡に個人または共同で新田を開発し,新村52,高1万8210石余におよび,世に「越後瑞賢」と称された。そのなかで最大規模のものは紫雲寺潟新田(紫雲寺町,中条町,加治川村)41村,1万6858石余である。紫雲寺潟の開発は享保13(1728)年諸経費の5分の1を分担する契約で新田鍬組に参加,養子儀右衛門吉明を遣わして開発に協力させ,17年願人竹前権兵衛が幕府から500町歩を拝領すると,そのうち150町歩を受け取り,宮吉・住吉(紫雲寺町),宮川(中条町)の3新田を立て,吉明はその庄屋となった。言胤の養子将矩も四郎兵衛を名乗り,白河藩(福島県)有力金主となり,明和2(1765)年同藩越後領5郡大肝煎筆頭に任ぜられた。また越前国(福井県)の新田開発に貢献した。<参考文献>『加治川治水沿革史』『柏崎編年史

(小村弌)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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