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細川護久 ほそかわ もりひさ

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

細川護久 ほそかわ-もりひさ

1839-1893 幕末-明治時代の華族。
天保(てんぽう)10年3月1日生まれ。肥後熊本藩主細川斉護(なりもり)の子。慶応4年新政府の議定(ぎじょう),刑法事務総督,明治2年参与となる。3年熊本藩知事として藩政改革に尽力し,洋学校,医学校を創設した。侯爵。貴族院議員。明治26年9月1日死去。55歳。

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(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

細川護久

没年:明治26.9.1(1893)
生年:天保10.3.1(1839.4.14)
熊本藩2代目知藩事。父は第12代肥後藩主細川斉護,母は延。長岡澄之助と称し,合翠と号す。明治1(1868)年1月議定職,翌年参与職。明治3年5月,兄韶邦に代わって熊本藩知事となり,大参事の弟護美と共に藩政改革を推進。雑税約9万石の廃止,熊本城破毀,藩議院設置など当時としては最も進歩的な政策がとられたが,その担い手となったのは横井小楠門下で下級武士出身の山田武甫嘉悦氏房,豪農竹崎律次郎・徳富一敬らであった。現在10基が確認される「知事塔」は,領民がこの改革に感謝して建てたものとされている。また同4年には古城医学校と熊本洋学校を設立して,開明的な教育に力を入れた。侯爵,貴族院議員。

(三澤純)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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