コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

経ヶ島 きょうがしま

2件 の用語解説(経ヶ島の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

経ヶ島
きょうがしま

12世紀に,平清盛大輪田泊 (現在の神戸港) の波よけのために築いた島。治承5 (1181) 年,清盛の死により一時工事は中断したが,建久7 (96) 年,東大寺の僧重源により再開され完成。工事に際して人柱に代えて一切経を記した石を埋めたという『平家物語』の記述により,この名がつけられた。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

経ヶ島【きょうがしま】

大輪田泊(現在の神戸港)の防波堤として築かれた島。神戸市兵庫区島上町付近に当たり,兵庫島,築島ともいった。1180年平清盛が計画,《平家物語》に人柱の代りに一切経を書いた石を埋めたとあり,この名で知られる。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典内の経ヶ島の言及

【神戸[市]】より

…奈良時代には大輪田泊(おおわだのとまり)と呼ばれ,12世紀中ごろには平清盛による大規模な修築が行われた。鎌倉時代に入ると兵庫津と名がかわり,清盛の築造した経ヶ島を中心に町が形成された。応仁の乱で町は一時衰退するが,江戸時代に西廻航路が発達すると再び隆盛に向かい,幕末の開港まで海上交通の要衝として繁栄した。…

【港湾】より

… 一方,大陸へは当初は難波津を出発地とし,九州の坊津を経て向かっていたが,都が平安京に移ってからは大輪田から出るようになった。しかし,大輪田は泊程度の機能しかもっておらず,12世紀,平清盛はこの地を大陸との交易の拠点としての津にすべく,経ヶ島(その名は石の前面に一切経の経文を書いて沈めたことにちなむという)築島による大輪田修築を行い,その一方,政治,経済の中心地との直結をはかり,背後の福原に都を移そうとしたのである。一般に貿易港としての津は,他国との交流が繁しい一方,外敵の侵入や雑居の影響を受けやすい欠点があり,このため権威の集中する都宮は津から離れて置かれるのが通例であったことを考えると,福原遷都は短期間ではあったが,清盛の意図は近代の港湾の考え方に近いものであったといえる。…

※「経ヶ島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

経ヶ島の関連キーワード大輪田泊神戸神戸港福原大輪田の泊輪田の泊経島奈良県北葛城郡河合町大輪田大輪田造大輪田泊使

今日のキーワード

ポケモンGO

2016年7月6日に米国・オーストラリア・ニュージーランドで配信開始となったスマートフォン用AR(仮想現実)モバイルゲーム。開発・発売元はNiantic,Inc.(ナイアンティック)で、株式会社ポケモ...

続きを読む

コトバンク for iPhone