経ヶ島(読み)きょうがしま

百科事典マイペディア 「経ヶ島」の意味・わかりやすい解説

経ヶ島【きょうがしま】

大輪田泊(現在の神戸港)の防波堤として築かれた島。神戸市兵庫区島上町付近に当たり,兵庫島,築島ともいった。1180年平清盛計画,《平家物語》に人柱代りに一切経を書いた石を埋めたとあり,この名で知られる。工事清盛の死で中断,1196年東大寺の僧重源(ちょうげん)により完成

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「経ヶ島」の意味・わかりやすい解説

経ヶ島
きょうがしま

12世紀に,平清盛が大輪田泊 (現在の神戸港) の波よけのために築いた島。治承5 (1181) 年,清盛の死により一時工事は中断したが,建久7 (96) 年,東大寺の僧重源により再開され完成。工事に際して人柱に代えて一切経を記した石を埋めたという『平家物語』の記述により,この名がつけられた。

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世界大百科事典(旧版)内の経ヶ島の言及

【神戸[市]】より

…奈良時代には大輪田泊(おおわだのとまり)と呼ばれ,12世紀中ごろには平清盛による大規模な修築が行われた。鎌倉時代に入ると兵庫津と名がかわり,清盛の築造した経ヶ島を中心に町が形成された。応仁の乱で町は一時衰退するが,江戸時代に西廻航路が発達すると再び隆盛に向かい,幕末の開港まで海上交通の要衝として繁栄した。…

【港湾】より

… 一方,大陸へは当初は難波津を出発地とし,九州の坊津を経て向かっていたが,都が平安京に移ってからは大輪田から出るようになった。しかし,大輪田は泊程度の機能しかもっておらず,12世紀,平清盛はこの地を大陸との交易の拠点としての津にすべく,経ヶ島(その名は石の前面に一切経の経文を書いて沈めたことにちなむという)築島による大輪田修築を行い,その一方,政治,経済の中心地との直結をはかり,背後の福原に都を移そうとしたのである。一般に貿易港としての津は,他国との交流が繁しい一方,外敵の侵入や雑居の影響を受けやすい欠点があり,このため権威の集中する都宮は津から離れて置かれるのが通例であったことを考えると,福原遷都は短期間ではあったが,清盛の意図は近代の港湾の考え方に近いものであったといえる。…

※「経ヶ島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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