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大輪田泊 おおわだのとまり

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大輪田泊
おおわだのとまり

神戸港の古名。奈良時代行基が構築したという五泊の一つ。治承4 (1180) 年平清盛修築は名高い (→経ヶ島 ) 。鎌倉時代以降兵庫と呼ばれるようになった。

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百科事典マイペディアの解説

大輪田泊【おおわだのとまり】

神戸港の古名。奈良時代に行基がつくったと伝えられる五泊の一つ。旧摂津国のうちで,のちの兵庫津平清盛日宋貿易振興のために修築工事を行い,宋船が入港できるようになったが,平氏の没落後まもなく荒廃した。
→関連項目経ヶ島神戸港日宋貿易兵庫津福原

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世界大百科事典 第2版の解説

おおわだのとまり【大輪田泊】

摂津にあった港。天平年中(729‐749)に行基(ぎようき)が開いたと伝える五泊(ごはく)(河尻大輪田,魚住,韓(から),檉生(むろう))の一つ。のちの兵庫津,今の神戸港の前身。785年(延暦4)に淀川が神崎川に直結され,神崎川河口の河尻が従来の難波津にかわって繁栄しはじめると,それまでの武庫(むこ)津にかわって河尻から1日航程の大輪田泊が栄えはじめる。西方から突出する和田岬によって南西風と潮流から守られる大輪田は,反面,南東風に弱いため防波堤を築いて防ぐ必要があった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大輪田泊
おおわだのとまり

現在の兵庫県神戸港内にあった古代の港。和田岬の陰で風浪を避けた天然の良港で、河尻(かわじり)、魚住(うおずみ)、韓(から)、室(むろ)とともに「五泊」といわれ、行基(ぎょうき)が築いたと伝える。平安初期に造大輪田船瀬使が置かれ、石椋(いわくら)の築造など修固が加えられた。近辺の福原に別業を営んだ平清盛(きよもり)はここを重視し、経が島を築いて港の建設に努め、宋(そう)船の入港をみるなど、内海屈指の要港に発展した。平氏滅亡後は、東大寺大勧進の重源(ちょうげん)がその事業を引き継いで、修築を行った。鎌倉時代以降ここは兵庫島、兵庫津と称せられる。[戸田芳実]

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世界大百科事典内の大輪田泊の言及

【神戸[市]】より

… 神戸は近畿の西の玄関である明石海峡に近く,古来山陽道や瀬戸内航路など水陸交通の拠点として重要であった。奈良時代には大輪田泊(おおわだのとまり)と呼ばれ,12世紀中ごろには平清盛による大規模な修築が行われた。鎌倉時代に入ると兵庫津と名がかわり,清盛の築造した経ヶ島を中心に町が形成された。…

【関銭】より

関所を通過する人馬や貨物などに対して徴収した税。関所の通行料としての関銭という言葉は通行料徴収を目的とした関所が多く設置されてくる鎌倉後期にはみられず,時代の下った室町から戦国期にかけて関賃とともに関所通行料の一般的呼称として用いられている。関所の通行料の呼称としては関料,関手(せきて)が鎌倉後期に,それより少し古くは関米,あるいはこれと同義の升米(しようまい)が用いられている。このような通行料の早い例としては平安初期の838年(承和5)大輪田船瀬において,〈勝載(しようさい)料〉と称してその修築費にあてるため往来船舶から通行料が徴収されていたのが挙げられる。…

【福原】より

…神戸市兵庫区の一部。大輪田泊に接する地で瀬戸内海交通の要衝に位置する。平清盛は福原荘を領有するようになると,ここに別荘(福原山荘,雪見御所などという)をつくり,1168年(仁安3)に出家入道してからは主としてそこに住み,平家一族の別荘も多く営まれるようになった。…

※「大輪田泊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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