神戸市の南部海岸に設けられた市営港。港域は、西の堺(さかい)川河口から東の傍示(ぼうじ)川河口に至る海域と、その間に流入する妙法寺(みょうほうじ)川、新湊(しんみなと)川、高橋川などの河口および新川、兵庫両運河の水面を含み、1984年(昭和59)には泊地総面積5553万平方メートルになった。おもな港湾施設は、大型船係船岸の公共埠頭(ふとう)では、須磨(すま)港、兵庫突堤(第1~第3)、中突堤、新港突堤(第1~第8)、ポートアイランド(西・北・中・南埠頭)、摩耶(まや)埠頭(第1~第4)、灘(なだ)埠頭、六甲アイランド(物資別バース、内貿バース、フェリー埠頭)、東神戸フェリー埠頭(第1~第4)、神戸深江フェリー埠頭、東部内貿埠頭など総延長2万8564メートル。私設埠頭では、西部第1工区、灘埠頭、東部第1~第4工区、阪九フェリー埠頭、川崎重工業岸壁、三菱(みつびし)重工業岸壁など8979メートル。小型船係船岸は3万1721メートル。また、市営上屋(うわや)総棟数90や営業倉庫、陸上交通機関、厚生施設、事務所、商店などの諸設備が整い、日本有数の港湾となっている。
港の歴史は古く、奈良時代にさかのぼるが、近代的な開発は1867年(慶応3)12月の開港からで、漸次整備された。明治末から大正にかけての修築工事により、本格的な拡張工事が行われ、新港第1~第6突堤、中突堤、兵庫第1・第2突堤、物揚場(ものあげば)、係留岸壁、上屋、貯木場など貿易港としての施設が整った。第二次世界大戦によって大きな打撃を受けたが、1950年(昭和25)には民間貿易が再開され、翌年から第7突堤、東部第1工区、西部第1工区の造成などが順次計画、着工された。1955年以降のわが国経済の飛躍的発展によって活況を呈し、兵庫第3、摩耶埠頭などが建設された。さらに1965年には海上コンテナ輸送が始まり、1967年には摩耶埠頭に日本最初のコンテナバースが竣工(しゅんこう)した。また、コンテナ専用埠頭とともに住宅・病院・ホテルなどの総合的都市機能をも備えた人工島ポートアイランド(1981年完成)のほか、六甲アイランドの造成も行われた。また、2006年(平成18)には、ポートアイランド沖に神戸空港が開港、連絡橋の神戸スカイブリッジが開通し、ポートライナーが空港まで延長された。このように、急速に進展する時代に対応する国際港湾を目ざし、絶えず開発が進められてきた。
1983年の入港船舶は9万2882隻、取扱貨物は1億4804万トンで、外国貿易が30%を占めていた。2004年の入港船舶は3万9266隻、取扱貨物は8566万1000トンで、外国貿易が50%を占めた。
[富岡儀八]
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…天平年中(729‐749)に行基(ぎようき)が開いたと伝える五泊(ごはく)(河尻,大輪田,魚住,韓(から),檉生(むろう))の一つ。のちの兵庫津,今の神戸港の前身。785年(延暦4)に淀川が神崎川に直結され,神崎川河口の河尻が従来の難波津にかわって繁栄しはじめると,それまでの武庫(むこ)津にかわって河尻から1日航程の大輪田泊が栄えはじめる。…
…一般道路や高速道路の整備も進められているが,東西の回廊的位置を占めるため通過交通が多く,中国道,山陽道,明石海峡大橋などを結ぶ大阪湾岸道路の完成が待たれる。また神戸港は瀬戸内海航路の最大のターミナルとして,四国,九州,沖縄を結ぶ定期船が中埠頭から発着するほか,東部第3,第4工区にはカーフェリー専用の埠頭がある。市街地の背後に連なる六甲山は瀬戸内海国立公園に属し,早くから別荘地やゴルフ場が開発され,市民の行楽地になっている。…
※「神戸港」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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