経堂村(読み)きようどうむら

日本歴史地名大系 「経堂村」の解説

経堂村
きようどうむら

[現在地名]富山市経堂・西新庄にししんじよう

常願寺川と同川支流赤江あかえ川に挟まれた平坦地にあり、北は荒川あらかわ村。東を常願寺川水系広田ひろた用水が流れる。「越中志徴」が引く郷村名義抄によれば、往古は上畠村と称し、のち村領内で上杉謙信が首実験を行って首塚を築き、その上に石地蔵堂・経堂および浄土じようど寺を建立したのが村名の由来と伝える。この首供養塚は元亀三年(一五七二)謙信が歩騎一万を率いて富山城を攻め、二千人の城兵が討死した折に築かれたと推測されている(越中志徴)正保郷帳では高二六八石、田方一七町八反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高四六九石、免三ツ三歩、小物成は鮎川役二匁(三箇国高物成帳)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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