日本歴史地名大系 「荒川村」の解説
荒川村
あらかわむら
「奥羽永慶軍記」によれば戸沢九郎盛安が、領地の境の要害である荒川に進藤筑後守乗以を配置した記述がある。新庄古老覚書の天正一八年(一五九〇)戸沢平九郎光盛が豊臣秀吉の命によって三五の城を破却した際に、
久保田領郡邑記には、「稲沢荒川ノ境ニ古城アリ、諸方ノ野武士等一揆ニ村々ヲランボウスル事度々アリ、其時ノタメニ村中ニ城ヲ築キ置テ一揆ノ寄セ来ル時、此城ニ老タルモノ、妻子等ヲ籠メ置、壮者ハ一揆ト戦ハントスルノ勢ヲナス、此故ニ此備有村ハ犯シカタシトス、古城ニ住居ノモノ知レスト云フハ多クハ此類ナラント村老ノ云ヘリ、此言大ニ是ナリ」とあり、城の性格をよく表している。
荒川村
あらかわむら
荒川村
あらかわむら
元和八年(一六二二)庄内藩領となり、同年の酒井氏知行目録では高九三九石余。寛永元年庄内高辻帳では高一千四三九石余、正保郷帳では田高一千三四九石余・畑高七一石余。
荒川村
あらかわむら
荒川村
あらかわむら
荒川村
あらかわむら
荒川村
あらかわむら
荒川村
あらかわむら
荒川村
あらかわむら
荒川村
あらかわむら
荒川村
あらかわむら
荒川村
あらかわむら
荒川村
あらかわむら
荒川村
あらかわむら
- 青森県:青森市
- 荒川村
荒川の中流左岸、
荒川村
あらかわむら
- 鹿児島県:串木野市
- 荒川村
荒川村
あらかわむら
荒川村
あらかわむら
現朽木村の北東端にあり、朽木谷の入口、
荒川村
あらかわむら
荒川村
あらかわむら
- 栃木県:小山市
- 荒川村
荒川村
あらかわむら
- 高知県:中村市
- 荒川村
天正一八年(一五九〇)の畑庄国見荒川生川村地検帳によると荒川村の検地面積二五町五反余、屋敷数一八うち居屋敷一。屋敷のうちには地蔵寺・妙現寺・リヤウトウアンが含まれる。江戸時代には元禄郷帳によると本田高二五五石余、寛保郷帳では家数一八、人数六八、馬一〇、牛二。「西浦廻見日記」(安永七年)には「荒川村三百石余のうち生ノ川五拾石余也、荒川は壱ツ四歩七り、生ノ川ハ免四ツ九歩二もとぞ、棄地七十石余有、人数百八人ならでなし」とある。
荒川村
あらかわむら
荒川村
あらかわむら
荒川村
あらかわむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報