日本歴史地名大系 「経塚野村」の解説 経塚野村きようづかのむら 富山県:東礪波郡城端町経塚野村[現在地名]城端町経塚野・国広(くにひろ)・立野原(たてのはら)立野ヶ原丘陵の東麓部に位置し、南は大宮野(おおみやの)開から千福新(せんぶくしん)村、東は国広新村、北は大西新(おおにししん)村。出来新村・退転村記申帳によれば延宝四年(一六七六)の成立。文政八年(一八二五)太美組、天保一〇年(一八三九)以降山田組に属した。嘉永六年(一八五三)の村鑑帳(菊池家文書)では高三四石、免二ツ二歩、定納七石余。家数一・人数五(男二・女三)、馬一、おもな稼は日用・駄賃・苧・布など。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by