経塚野村(読み)きようづかのむら

日本歴史地名大系 「経塚野村」の解説

経塚野村
きようづかのむら

[現在地名]城端町経塚野・国広くにひろ立野原たてのはら

立野ヶ原丘陵の東麓部に位置し、南は大宮野おおみやの開から千福新せんぶくしん村、東は国広新村、北は大西新おおにししん村。出来新村・退転村記申帳によれば延宝四年(一六七六)の成立。文政八年(一八二五)太美組、天保一〇年(一八三九)以降山田組に属した。嘉永六年(一八五三)の村鑑帳(菊池家文書)では高三四石、免二ツ二歩、定納七石余。家数一・人数五(男二・女三)、馬一、おもな稼は日用駄賃・苧・布など。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む