結城朝広(読み)ゆうき・ともひろ

朝日日本歴史人物事典 「結城朝広」の解説

結城朝広

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:建久1(1190)
鎌倉中期の武将通称上野七郎,結城七郎。朝光の長子で,母は伊賀朝光の娘。兵衛尉,左衛門尉,上野介,大蔵権大輔を歴任して,正五位下に至る。承久の乱(1221)では,北陸道大将軍のひとりとなり,越中国般若野の戦で功績を上げる。嘉禄2(1226)年公暁を詐称した者を白河関で討つ。歴代の鎌倉幕府将軍に近侍。康元1(1256)年執権北条時頼の出家に際して,朝広も兄弟と共に出家したため,「自由の過」(『吾妻鏡』)で出仕を止められる。没年は不明だが,『金沢文庫』所蔵の朝広書状の内容から,文永8(1271)年以後とみられる。弓の名手

(佐々木文昭)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「結城朝広」の解説

結城朝広 ゆうき-ともひろ

1190-? 鎌倉時代の武将。
建久元年生まれ。結城朝光(ともみつ)の子。承久(じょうきゅう)の乱で北陸道大将軍となり,越中般若野(はんにゃの)の戦いで功をたてた。左衛門尉,上野介(こうずけのすけ)をへて,仁治(にんじ)2年大蔵権少輔(ごんのしょう)。通称は七郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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