日本歴史地名大系 「給人町」の解説 給人町きゆうにんまち 山形県:酒田市亀ヶ崎城下給人町[現在地名]酒田市一番町(いちばんちよう)・新井田町(にいだちよう)片(かた)町の北に続く両側町で、北は荒瀬(あらせ)町。内町組に属する。慶長三年(一五九八)上杉景勝は当地一帯を郭内に入れて侍屋敷とし、給人を居住させた。酒井氏入部後侍屋敷は本丸と二の丸内に移されたため宅地跡となっていたが、人家が建ったので片町から分離した。酒田町割由来記(伊東文書)には延宝六年(一六七八)町名がついたとあるが、留書帳(同文書)の寛文一〇年(一六七〇)の項に町名がみえる。天和三年(一六八三)の酒田町割家数人数書上(鶏肋編)によれば町域は一町、家数四一・人数二八七。天保一二年(一八四一)の家数四五(「合浦珠」酒井家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by