給田村(読み)きゆうでんむら

日本歴史地名大系 「給田村」の解説

給田村
きゆうでんむら

[現在地名]世田谷区給田一―五丁目・南烏山みなみからすやま六丁目・上祖師谷かみそしがや一丁目・同七丁目

烏山村の南西にあり、多摩郡に属する。西は下仙川しもせんがわ(現調布市)、北は北野きたの(現三鷹市)。中央を甲州道中がほぼ東西に通り、道に沿って集落があった。上仙川用水が西の上仙川村(現同上)より入り上祖師ヶ谷村へと流れる。田園簿に給田村とみえ、田二六石・畑三四石余、幕府領(八石余)と旗本三浦二氏(各二六石)の三給で、ほかに幕府領代官納の野米二俵余があった。以後幕末まで三給で、旧高旧領取調帳では幕府領が大幅に増え一七一石余となっている。元禄一一年(一六九八)検地帳(池亀家文書)によれば、幕府領の反別は上畑九反余・中畑六町余・下畑一八町六反余・下々畑二町九反余・屋敷一町八反余。


給田村
きゆうでんむら

[現在地名]長南町給田

地引じひき村の北に位置し、一宮いちのみや川支流の埴生はぶ川が流れる。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高二四七石で幕末まで変わらない。寛政五年(一七九三)の村明細帳(石橋家文書)では三一町七反余で家数四七・人数二四一、溜井二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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