朝日日本歴史人物事典 「続守言」の解説
続守言
7世紀後半来日した中国人。斎明6(660)年百済滅亡後,唐,新羅に抵抗する百済の遺臣鬼室福信の捕虜となり,献上されて来日。『日本書紀』では,斎明7年条に福信が獲得した守言らが筑紫に至ったとし,また天智2(663)年条にも福信が唐の俘虜守言を上送したとある。朝廷に仕えて持統3(689)年稲を賜り,音博士として中国発音を教授し,5年に銀,6年にも水田を賜った。
(佐藤信)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報