翻訳|Chinese
中国人は普通には中国話Zhōng guó huàと呼ぶ。中文Zhōng wén,華語Huá yǔなどともいうことがある。漢民族の日常使用する言語であると同時に,中華人民共和国の〈国語〉であり,また国際連合諸機関で中華人民共和国を代表するための国際公用語でもある。漢民族の言語ということを特に強調するときの中国人の呼び方は漢語Hàn yǔである。
単位となる〈音節〉の独立性が高く,語彙もただひとつの音節から成ることが珍しくない〈単音節語〉である。その音節は(C)(M)V(C/V)/Tと表示できる。Cは子音,Mは-i-,-u-,-ü-,以上三つの半母音のいずれか,Vは母音であり,Tはこうして作られる音節の全体について,その始点から終点に至る間,いちいちの時点における音の高さやその量等の指定である〈声調〉で,中国語は原則としてすべての音節が,その音節の担うべき機能に対応した声調をもつ〈声調言語〉でもある。(C)(M)V(C/V)/Tのうち括弧をつけたものは,その要素のない音節があり得ることを示すが,たとえそれらの要素を欠いても,それによってその音節がそれだけ短くなるのではなく,それらの要素のすべてを備えたものも,ただひとつVだけの構造のものも,相互に同じ音量と意識されるのが普通で,それがこの国の美文学に〈五言詩〉〈七言詩〉あるいは〈四六駢儷(しろくべんれい)体〉など,字数を基礎とする詩文の体をはじめさせた理由となっている。1字1音1義などというように,漢字1字は漢字の歴史の最も古い時期から,だいたいこの言語の1音節に対応していたと見て差支えない。
〈普通話pǔ tōng huà〉と呼ばれる現代中国の共通語音を例とし,かつ〈漢語拼音(へいおん)/(ピンイン)方案〉(拼音は正しくは〈ひんおん〉とよむ)による正書法にもとづいていえば,これら(C)(M)V(C/V)/Tのすべての要素が存在するのは,biao3〈表〉,suan4〈算〉等がそれで,b-,s-が最初の(C),-i-,-u-が(M),-a-が次のV,前者の-o,後者の-nが(C/V)である。数字の3,4はTで声調をあらわし,前の〈表〉はその全体が,声の高さの一番低い所を1,一番高い所を5として等分したとき,概略214というようなカーブを,あとの〈算〉は51というカーブを描く形で発音されることを示す。i4〈義〉,u3〈五〉,a1〈啊〉は(C),(M),(C/V)を欠いてV/Tだけの例,uen2〈文〉,iao1〈腰〉は最初の(C),jia1〈家〉は最後の(C/V),üe4〈月〉,ie3〈野〉は最初の(C)と最後の(C/V),ma3〈馬〉は(M)と最後の(C/V),an1〈安〉,ao4〈奥〉は(C)(M)を欠いてそれぞれMVCもしくはMVV,CMV,MV,CVおよびVC/Vの例となる(いずれもTの表記を省略。なおi,u,uen,iao,üe,ieは正書法としてはyi,wu,wen,yao,yue,yeとなる)。伝統的な音韻学では最初の(C)を声母,(M)を介母といい,(M)V(C/V)を合わせたもの,ときによってさらに(M)を除いたV(C/V)を韻母と呼ぶ。介母の(M)を韻頭,Vを韻腹,(C/V)を韻尾ということもある。いわゆる〈漢詩〉などを通してわれわれにも親しい中国詩の〈押韻(おういん)〉とは,このうち韻母すなわち(M)V(C/V)もしくはV(C/V)の部分を等しくするもの同士を,定められた詩句の末に置き,相似音が一定間隔をおいて繰り返し現れることを楽しむ技法である。
声調のカーブを追加説明すれば1は55,2は35であって,共通語ではこの1,2,3,4の四つが〈四声〉とも呼ばれて声調の基本部分を形づくる。さきに声調について〈原則として〉といったのは,共通語などではそのほか〈軽声(けいせい)〉と呼ばれて,複音節の熟語などでアクセントの置かれない音節の場合,もしくはそれが〈完了〉〈継続〉等助動詞的な,また〈所属〉等助詞的な機能を示す文法成分,その他いわゆる伝統文法学にいう〈虚詞〉あるいは〈助字〉であるような場合,その直前の声調形に影響された高低の別こそあるものの,本来の1,2,3,4の四声のカーブを描くことなく,ただ軽く前の音節に添えられるという感じのものとなるにすぎない場合がある。したがって共通語その他については,さきに示した音節構造のうち最後のTにも括弧をつけて(C)(M)V(C/V)/(T)と表記していいことになる。なお,この共通語において四声と呼ばれる声調のセットと,漢詩など古典文学における〈四声〉との関係は大略次のようなものである。
昔の四声にあって今の四声にはない〈入声(にっしょう)〉という調形は,今たとえば広東(カントン)方言では-p,-t,-kと表記されるような子音韻尾をもつものに対応し,日本の漢字音としてはそれはそれぞれ仮名2字以上であらわされ,かつその下の字が歴史的仮名づかいで-フ,-ツ・-チ,-ク・-キとなる。入声は,中国北方語では,調形としては共通語におけるようにだいたいは消滅して他の声調の中に入り込んでいるのである。四声の古今対照図で線の太い細いは分離して流れ込む量の多い少ないを示す。次濁音とは,l,m,n,ngなどに始まる音節のことをこの場合は言っている。
文法構造としての中国語は,何よりもまず〈語順〉が最も大きな意味をもつ言語である。語順の文法を,中国語では3項目にまとめることができる。(1)主語が先で述語が後,(2)動詞が先で目的語が後,(3)修飾語が先で,それによって修飾される被修飾語が後,の3項である。補足的にいえば,〈我的(私の)〉,〈坐着(座っている)〉,〈来了(来た)〉における〈的〉〈着〉〈了〉などの文法成分すなわち〈虚詞〉も,それが付属すべき相手要素の後に添えられる。したがって〈私は見る〉は〈我看〉(1),〈私は新聞を見る〉は〈我看報〉(2),〈私はまず昨日の新聞を見た〉は〈我先看昨天的報了〉(3),ということになる。ただしこの(3)の例に見える〈先〉が,例えば広東方言では〈私は先に行く〉が〈我去先〉のように,共通語などの〈我先去〉という語順と異なる。しかしこうした例を取ってただちに広東語では修飾語が先,被修飾語が後という語順の大原則に外れるものがあるというのは正しいといえない。
広東語のこの〈先〉には,語気詞的な感じがかなり強く伴っていて,それがたとえば〈去〉という動詞の表そうとする内容を限定するものとしてその後に立つというのではなく,むしろ〈我去〉という主表現の全体に対してそれを限定する関係にあるのだと見ることも,必ずしも不可能ではないからである。なお先の共通語の例(3)から〈我看報了〉のように主要な部分だけを取り出してきたとき,完了のアスペクトを示す〈了〉が,動詞〈看〉のあとに,〈虚詞〉〈助字〉という別の要素として添えられるのは,たとえば日本語の〈見る〉〈見た〉などと同じように〈分析的〉な表現であって,その点,英語などが〈食う〉〈食った〉を〈eat〉〈ate〉のようにその原形からアスペクト指示要素を分離するのが困難であるような形で表現する場合もある,いわゆる〈統合的〉な形とは異なっている。これも中国語の文法構造の一つの特徴で,上の例で〈の〉を示す〈的〉,〈……している〉を示す〈着〉などの先行要素への付属もその例なのである。
ただひとつ注意すべきことは,中国語でこれらの文法要素が,しばしば表現されないでいて,しかもそういう意味内容がそこに内在しないではないという場合もあることであって,そのため中国の文法学者はよく〈……という気持を特に示そうとするときには……という語を付け加えることがある〉というような説明のしかたをする。さきの例の場合〈完了〉のアスペクトは〈了〉を待ってはじめて表現される,逆にいうと〈了〉がなければ〈完了〉の意味は伝わらないというのではなく,〈了〉が付け加えられることによって〈完了〉のアスペクトは言語要素としても明確に表現されるということになるのである。そこでたとえば〈孔子は紀元前551年に生まれた〉というとき,中国語の表現はこの〈生まれた〉についてつねに〈生〉であって,それ以上他の要素をつけることはない。孔子のこの履歴について〈生〉の字にたとえば〈了〉がつくことがあるとすれば,それは,〈生れて〉,さてそれからどうした,というようなとき,たとえば〈生了以後〉(生まれてからのち)というようなときでもなければありえない。
〈昨日の新聞〉というときも,さきの文の中でならば〈昨天的報〉と〈的〉の添えられた形以外のものは考えにくいが,この〈的〉にしても〈昨日の新聞に出ていたある記事〉なら,たとえば〈昨天報上的一条小消息〉とでもいうのが普通で,通常の場合,というのは,わざわざ〈昨日の〉とか,あるいはまた〈雑誌の〉でなく,〈ラジオの〉でもなく,まぎれもなく〈新聞の〉ということを特別に強調する場合ででもなければ,〈昨天的〉と〈的〉を添えることはないだろう。文法要素が,中国語の場合このように,〈分析的〉な場合とともに,〈分析〉も〈統合〉もなく,言表そのものが存在せず,しかもまたそうした意味内容がそこに存在しないとはいえない場合があるというこのことは,中国語を扱う場合につねに忘れてはならない事がらの一つである。
中国語の文法構造上の特点として,また中国人のいう〈量詞〉,つまり名詞その他について馬ならば〈匹〉,牛ならば〈頭〉,羊ならば〈隻〉というように,多くの場合数える対象物によって異なる〈類別詞〉のあることが挙げられる。日本語でも,人ならば〈ひとり〉〈ふたり〉,鳥ならば〈いちわ〉〈にわ〉〈さんば〉という数え方をするのと似ているが,日本語ならかならず〈ひとりの人〉〈二羽のうぐいす〉というところを,中国語では〈一個人〉〈両匹馬〉というように,〈の〉に当たる語なしに,ただちに〈人〉や〈馬〉に接続する点がちがう。
現在中心となっているのは漢字で,日常使われているのは特にその〈楷書〉体,中華人民共和国では楷書体の中からその〈異体〉を取り除き整理したものと,使用頻度の特に高いものについて定められている楷書体的な略字体,いわゆる〈簡体字〉とを合わせた全体が正字とされている。〈漢語拼音方案〉にもとづく漢字のローマ字正書法も規定されて日常的に使われてはいるのだが,いまのところ漢字の補助として発音表記の役に立てるという以上の使い方にはなっていない。これも,中国語における単位としての音節の独立性が高く,漢字がまたそれに適応して1字1音1義という要求にこたえられるようになっているためだと思われる。ローマ字つづりのもつ〈意味喚起性〉は,たとえ声調の助けを借り,単音節語彙・複音節語彙の書分けがあったとしても,なお漢字のそれに比べて極端に低いといわなければならないのである。
→漢字
1960年に出版された袁家驊ほかの共著《漢語方言概要》は現在の中国方言を(1)北方話,(2)呉方言,(3)湘(しよう)方言,(4)贛(かん)方言,(5)客家(ハツカ)方言,(6)粤(えつ)方言,(7)閩(びん)南方言,(8)閩北方言に8大別する。
かつてのいわゆる〈官話〉つまり官用言語と呼ばれたものを中心にするということで官話方言と呼ばれることもある。日常的にこの方言を話す人びとは中国語を操る人たち全部の70%を占めるといわれる最も勢力のある方言で,〈普通話〉も,その音韻構造からいうとこの方言の中の一支派である北京方言からその〈土語〉的要素を除くという形で人為的に設定されたものである。概していえば新疆(しんきよう),青海など西北の地域を含む長江(揚子江)の北の地域と,長江以南としては貴州,雲南といった,日本でならば北海道にも当たるような,中国語からいうと比較的新しくその使用地域となった所に分布している。
共通語では,正書法でb,p,m,f,d,t,n,l,g,k,h,j,q,x,zh,ch,sh,r,z,c,sであらわされるような子音群,うちbとp,dとt,gとk,jとq,zhとch,zとcの組合せは,いずれも清音の無気と有気,つまり強い気息を伴うかどうかによる違いを正書法上こう書き分けるだけで,濁音と清音の組合せではない。zh,ch,sh,rの四つは〈翹舌(ぎようぜつ)〉つまり舌の先を上の歯の根もとよりも上にあげるいわゆるcerebral,日本でふつういう捲舌(けんぜつ)音で,上述の無気音有気音の組合せとともに日本語の知らないものだが,それを含むこの子音群に,子音のないいわゆる〈零声母〉を加えたものと,a,o,e,ê,er,-i(ウェード式の-ih,ǔ),ai,ei,ao,ou,an,en,ang,eng,ong,i,ia,iao,ie,iou,ian,in,iang,ing,iong,u,ua,uo,uai,uei,uan,un,uang,ueng,ü,üe,üan,ünの諸韻母とを,すでに見た(C)(M)V(C/V)という定形(上の韻母は(M)を含む(M)V(C/V)を入れた全体である)に従って組み合わせた400をわずか超える数の音節から成り立っている。erを除くそのいずれにも一種の〈指小辞〉である-rを付属させることができるが,それを数に入れて全部で800余ということは普通にはしない。-rの付属した形が複音節語彙の中で末尾以外の場所に来ることは原則としてないのも,それらを上述の400余の基本音節と同じには扱えないことを示すものだといえる。
とにかくその各音節がそれぞれ〈四声〉をもつとすれば400×4=1600となり,それだけの数がこの言語を構成する単位要素となりうるはずだが,実際には例えばgeiという音節などのように,共通語で実際に使われているのはその中のただひとつgei3〈給〉(与える,……してやる)でしかないというようなこともあって,(C)(M)V(C/V)/(T)と(T)を添えた音節の数は1200を大きく超えることがない。またたとえば《新華字典》1979年版のような小型の字典でも,i(正書法としてはyiと書く)という音節についてi1,i2,i3,i4を通して131の,それに対応する文字が収められており,意味を伝達する機能としては,そのひとつひとつの能力がきわめて低い。共通語ではたとえば〈衣服〉〈医生〉〈椅子〉〈疑心〉〈以為〉〈一億〉〈意義〉〈芸術〉〈翻訳〉〈益処〉〈憶測〉(衣,医,一はyi1,疑はyi2,椅,以はyi3,億,意,義,芸,訳,益,憶はいずれもyi4)など複音節語の一部となることによって,文字を知る人にはその文字をも思い起こさせることができるというが,共通語を含めて北方語では,yiがそれだけで意味と結びつきうる場合を考えてみると,それは〈一,二,三〉というときの〈一〉yi1以外にはほとんどないであろう。
しかし,ことが北方語の大部分の構成員たるものを離れて他の方言の中に入っていくと,事がらは必ずしも同じではない。上の例でいうと,それがyi以外の音になるのが,〈一〉〈義〉〈芸〉〈訳〉〈益〉〈憶〉等であること,日本の漢字音の場合と同じだというのが諸方言の中に少なくはなく,そこではそれだけyiならyiの意味伝達機能が高まるはずだからである。そうして中国語の全体を上記のような方言群に分かつ場合,共通語についてすでに見た声母韻母の種類,数,したがってはそれの組合せによってできあがる音節の種類,数などの違いが何より大きな指標になるといっていい。たとえば,昔の〈四声〉の一つ〈入声〉は,概していえば呉方言以下の南の方言の中で保存され,したがって,音節構造としての最終項(C/V)のうち(C/ )に当たるものが,共通語の中の-n,-ngのほか,-p,-t,-k,-ʔなどと表記されるものがふえる,というようなことも,その指標の中で大きなものの一つである。
それと日常使用語彙の中での単音節語彙と複音節語彙との分布比率を含む語彙の問題もまた諸方言を分かつ指標である。文法の要素がこうした指標として現れることが一番少ないのは,ヨーロッパ語の中でたとえば英語とドイツ語を分かつ最も大きな違いはその文法構造であると,一般の感覚としてはいえるようなのと大きく異なっているが,そうした相違をもたらす原動力ともなるものは何か。そこにさまざまの要素はあるであろうが,単位音節のひとつひとつが〈モナド〉的とでもいうべき不可侵性,したがっての独立性をもっていることが,その最も重要な一つであったと思われる。その〈モナド〉同士の関係は上述の文法構造の説明に見るようにきわめて単純であり,そういう所で〈変わる〉ものがあるとすれば,それは〈モナド〉自体の自律的な変化とでもいうべきものである。すなわち〈モナド〉自体による自身のありようの選び取り,外側から見れば音節自体の音変化とも見えるであろうようなもの以外にないであろう。
江蘇省の長江南部を中心に浙江,福建に及ぶ中部海岸から遠くない地帯に行われる。全体として比較的古くから文化の先進地区に組み込まれた地方を多く含む。日本の漢字音のうちの〈呉音〉とも明らかに縁が深く,日本の呉音の漢音との相違の最も大きなもの,すなわち中国共通語音でm,nを声母とする諸音節に対応する漢音のバ・ダ両行字に始まる音,たとえば〈馬〉のバ,〈乃〉のダイなどは除いた濁音群を声母とするものは,中古の標準音の中には存在していて,すでに見た共通語などの清音における無気・有気の2項対立に,さらに1項を加えた3項対立を形づくっていたと考えられるが,それは今でも呉方言の最も大きな特徴であり,ほかにこれを保存するのは湘方言に属する双峰方言などしかないとされる。いいかたを変えれば,中国現代の諸方言の中で,この呉方言と湘方言のほんの一部だけが,かつてはもっと広範囲に存在していたにちがいない濁音を残しているということになるのである。
→上海語 →蘇州語
〈湖南話〉などとも呼ばれる。昔の〈楚〉の国のことばと地域的に重なる所がある。新旧の2層を区別し,新は湖南省長沙の方言を,旧はいま触れた同じく湖南省双峰の方言を代表とするのが普通である。
江西省に行われる方言。南昌方言が代表とされる。古代の呉,越,楚3国の勢力のまじり合う地区にあって,ことばもそれに伴う混合性があるとされる。
〈客家〉は日本でもそれを〈ハッカ〉と読む人が珍しくないほど比較的よく知られた方言であるが,その〈客家〉とは〈旅の人〉という意味である。北方中国中原地方の人びとが戦乱を避け,おそらく何度もの波を繰り返しながら南を指して移住していった。古くは東晋から隋・唐にかけて,ついでは唐末から宋にかけて,さらには宋末から明初にかけて,という風にである。それぞれ匈奴の侵入,黄巣の乱,またモンゴルの南侵がその起動力になったという。こうして江西の中部から福建,広東にまで移住の波は及び,居着いた場所での人口の増加から,そこを起点としてさらに四川,台湾,湖南,広西,海南島にまでその居住地域をふやしていく。それらの土地の先住の漢族から見てそれは〈よそもの〉〈旅の人〉であり,〈よそもの〉としての言語を,おそらくもちろん周辺の人びとの言語との間に相互の影響力は行使し合いつつも,とにかく保持しつづけたのだとされる。この方言は普通広東省梅県の方言を代表として議論される。共通語では中古の〈平仄(ひようそく)〉つまり平声であるか,上・去・入3声のいずれであるかで中古の濁音が分離し,平声では清の有気音二声,仄声では清の無気音になること,例えば同tóng,動dòngのごとくであるのと異なり,客家方言では平仄にかかわりなくすべて清の有気音になるという特徴を,さきの贛方言と共有することで知られる。
→客家語
広東・広西両省に主として行われ,広東省広州(日本などでいうカントン)方言を代表とする。この地方には漢末・唐末・宋末三つの時期における中央からの植民の大きな波が及んだ。いずれの時期の植民も,この地方の方言にその当時の中央語の影響をもたらしたはずで,南方諸方言の中でこの方言がきわだって中古の音韻体系,たとえば日本漢字音のうち特に漢音によっても示されるようなものとの,かなり体系的な対応を見せるというのも,そうしたたび重なる中央語の洗礼を受けたことと関わりがあると思われる。
→広東語
それに比べるとき,(7)(8)の閩方言すなわち主として福建,台湾に行われる方言は,中国語の,より古い形をいっそう多く保存すると考えられている。そのうちの南方支派で厦門(アモイ)方言を代表とするのが(7)閩南方言,北方支派で福州方言を代表とするのが(8)閩北方言であり,(8)の方がのちの中央語の影響を受ける度合いは多かったかと思われるが,両者をまとめてただひとつの閩方言とする人もある。1981年出版の詹伯慧《現代漢語方言》の考え方はそれである。この地方にも,さきの客家方言と同じように,中原からその地方の言語をもって,そのころはまだ完全に南方非漢族の居住地であったこの地に移住して来た人たちのその言語を祖語とするという伝承があるのだが,その移住伝承は客家のそれよりも古い。秦・漢時代移住はすでに始まったとされていて,比較的大規模なものについて見ても,いわゆる五胡の乱を避けるための西晋末年のそれであったという。
この地の方言が,他のほとんどの方言において区別するb,p等のいわゆる〈重唇音〉とf等の〈軽唇音〉を,その土地の言語音の中でも特により古い形を保存するとされる口語音,いわゆる〈白話音〉の中では区別しないでともに重唇音にしていること,また他の多くの方言が,たとえば共通語の中ではzh-,ch-などの中に混交させてしまっているいわゆる歯上音と舌上音とを区分して,舌上音に始まるたとえば〈陳〉〈中〉〈竹〉などを,〈臣〉〈終〉〈粥〉など歯上音に始まるそれとは別に,日本漢字音がそれらをチ,もしくはヂに始めているのに似てt-系統の音で始めるというようなこと,いずれもこれらの方言が引きつぐものの古さを示しているということができよう。
→福建語
なお袁家驊ほかの《漢語方言概要》によると,(2)以下の各方言人口の,全中国語人口に対する比率は,それぞれ(2)8.4%,(3)5%,(4)2.4%,(5)4%,(6)5%,(7)3%,(8)1.2%である。
中国語はシナ・チベット語族,中国人のいわゆる〈漢蔵語系〉の一つであるとされる。この語族に属するとされるものは,いずれも原則として(1)単位音節が声調をもつこと,(2)単音節語が語彙の中で多数を占めること,(3)語順および虚詞が文法構造の基本部分を形づくること,(4)量詞をもつものが多いこと,等を特徴とする言語の集まりである。現在中国での最も普通の分類法ではこの語族をさらに3分する。(1)チベット・ビルマ(蔵緬)語派,(2)チワン・トン(壮侗)語派,(3)ミヤオ・ヤオ(苗瑶)語派がそれである。しかし中国の研究者たちは中国語がその3語派のいずれかに下属するというのではなくて,中国語とこれら3語派とを合わせた四つがひとつの〈シナ・チベット語系〉を形成すると考えている。
上海辞書出版社1979年版《辞海》〈漢蔵語系〉の項に,〈漢語およびチベット・ビルマ,チワン・トン,ミヤオ・ヤオ3語派の言語を含む〉といい,〈漢語〉の項には,〈言語分類上シナ・チベット語系に属し,中国領土内のチベット語,チワン語,タイ語,トン語,リー語,イ語(いわゆるロロ語),ミヤオ語,ヤオ語等,中国領土外のタイ語,ビルマ語等とは,いずれも縁つづきの言語である〉というのが,ともにそれを示す。ただし,それら親(ちか)しい関係にありそうな諸言語のどのひとつとも,比較言語学がかつていわゆるインド・ヨーロッパ語族に属するとされるもの相互についてなし得たような親縁の確固たる心証を与えることには,中国語についてまだだれも成功していない。たとえば親縁の証拠としてしばしば取り上げられるチベット語の数詞の1から10まで,すなわち〈gčig,gňis,gsum,bži,lṅa,drug,bdun,brgyad,dgu,bču〉にしても,それを中国語の〈一,二,三,四,五,六,七,八,九,十〉と比べるとき,総体としてそこにあるいちじるしい類似は,かえってそれ以外のもろもろの語彙についての両言語の非類似をきわだたせるということもできる。これらの数詞は,そのどちらかが相手方の言語からの古い借用であることを否定しきれないのである。
確実に中国語の文字表現である最も古いものは,殷代の遺物としての甲骨文,金文であると,今日普通に考えられている。そのうちでも最古のものは大体今から約3400年ほど前のものとされている。以後今日まで中国語の文字表記は絶えることなく続いてきているのであって,その意味で中国語は地球上で最も長期にわたる文字表記の歴史をもつ言語の一つであるということができ,その表記の伝える意味内容はもとより,その全部がいわゆる〈表音的〉ではなかったその表記によって示されるべき言語音の歴史さえ,おおよそはたどることができる。特に《詩経》以後は,それが世界文学の中でも最も早く〈押韻〉の技法を豊富に取り入れることを知った文学であるだけに,漢字の〈諧声(かいせい)〉,〈形声〉,あるいは〈仮借(かしや)〉の技法とも合わせ,かなり明確な音の体系を構成して見せることもできる。
中国の研究者は中国語のこの時代の形態を,スウェーデンのカールグレンの命名chinois archaïqueの訳として〈上古漢語〉,601年隋の陸法言の《切韻(せついん)》により,単なる枠組みとしてより以上に〈反切〉による音の指定まで得ていっそうよく把握できるようになった時代のそれを同じくカールグレンの命名であるancien chinoisによって〈中古漢語〉と呼んでいる。すでに粤方言を紹介しながら〈中古〉の音韻体系に触れ,また日本の〈漢音〉にも言及した。われわれの中国語研究が資料として利用し得るものの質,量とも,当然現在に近い時期については豊富であり,遠い時期については貧弱である。中古漢語は,したがってわれわれの研究における前進基地となる。かつてこの中古漢語には,上古漢語から分かれたすべての方言が流れ込み,逆にこの中古漢語からすべての現代諸方言は流れ出た,と考えられることがあった。《切韻》そのものをどういう性質の資料であると考えるかによっても,異なった受け取り方が出て来るだろうが,現代諸方言のさまざまな音形の中には,《切韻》によって組み立てたとされる中古漢語では説明しきれない多くの古形を含む可能性がある。
それと似た関係は,おそらく上古漢語と中古漢語の間にも存在するのであって,事がらを単純化し,〈漢字諧声〉→《詩経》→《切韻》→現代諸方言,という1本の道すじを作ることで,中国語の全体の歴史が覆えるというようなものではおそらくない。こうした形の道すじを描いて覆えるものは,比較的限られた範囲の,たとえばかなり西北の地方にかたよる地域のものでしかなく,そこに存在しなかったものは漢字の諧声としても,《詩経》の押韻方式としても完全に取り込まれることはなく,かえって現代諸方言の中には痕跡的にでも保存されているというような場合のありうることも,考えてみなければならないだろう。
たとえば《詩経》について,押韻方式といういわば表がわでなく,本来同じ韻母のグループに属してはいないが感じが近いというようなことで,臨時の韻字として使われる通押(つうおう)の例,《詩経》学の用語でいえば〈合韻〉の例を見てみると,それが大きく王朝のうた,つまり〈雅(が)〉〈頌(しよう)〉にかたより,〈風(ふう)〉の中では,邶(はい),鄘(よう),衛の3,いずれも前王朝殷の畿内を引きついだ衛の国の国ぶりであるのを目だつ例外として,あとは王朝創始の地に近い秦,豳(ひん)など西北地方のそれの中に特に目だつといえるところがある。合韻を通して《詩経》がわれわれに語りかけるものには,たとえばかつて羅常培《唐五代西北方音》において示された韻尾調音の総体的な弱さとも共通するものがあり,それは言語の〈西北性〉とかりに名づけていいが,殷・周2代にわたって引きつがれた〈みやこ〉の音といっていいものかも知れないのである。そこでわれわれには,漢字の諧声や《詩経》の押韻によって再構成できるものは,単なるその一支派であるに過ぎないような,つまりそうした〈みやこ〉の音にかたよるものであるかも知れない〈上古漢語〉を大きくみずからの内に包摂できるような,遠く漢字表記以前にもさかのぼることができるような〈遠古漢語〉をさらにその上に設定する可能性も与えられているのだといっていいのである。
執筆者:尾崎 雄二郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国本土とその周辺地域を中心に、おもに漢民族により用いられる言語。多くの少数民族を含む多民族国家である中華人民共和国では、漢族の言語という意味で、正式には「漢語」とよばれる。少数民族にも中国語を併用するものがあり、東南アジア、アメリカ合衆国など世界各地の華僑(かきょう)によっても用いられるので、中国語人口はおそらく14億に近く、世界で話し手のもっとも多い言語である。
[平山久雄]
中国語はタイ語、苗(ミャオ)語、チベット語、ビルマ語などとともにシナ・チベット語族(漢蔵語族)に属するといわれるが、これは、単音節性、孤立語性、声調の存在など類型論的な共通性やごく少数の単語の語形類似に基づく推測にすぎず、音韻の対応による厳密な学問的証明はまだできていない。中国語がそれら諸言語と系統関係をもつとしても、それらから分かれ出た年代は非常に古い(おそらく5000年よりも以前)と思われる。
中国語の記録は殷(いん)の甲骨文字(前13~前11世紀)に始まり、漢字による文献(多くは写本として伝えられたのち刊行された書籍)が周以後の各時代にわたり豊富に残されている。『論語』など先秦(せんしん)時代の書物にみられる言語は比較的口語に近かったが、漢以後それは固定して古典文語となり、時代による文体の差は若干あるものの、基本的にはそのまま20世紀初めまで正式の書きことばとして伝承された。一方、『世説新語』(5世紀の逸話集)のように、文語のなかに当時の口語をやや多く含む文献もあり、10世紀以後には、禅僧の語録(問答集)や『水滸伝(すいこでん)』など白話小説のごとく口語をおもに用いた文献が現れ、各時代における中国語の実態をうかがうことができる。これらの文献資料により、中国語の歴史はいちおう次のように区分される(王力(おうりき/ワンリー)著『漢語史稿』の区分にほぼ従う)。(1)古代語(前13~後3世紀)、(2)中世語(4~12世紀)、(3)近世語(13~20世紀初)、(4)現代語(1919年の五・四運動以後)。音声の面では、『詩経』の詩の押韻と形声文字の声符の研究をもとに推定される「上古音」、隋(ずい)時代の韻書(作詩用の発音字典)『切韻(せついん)』をもとに推定される「中古音」、元時代の韻書『中原(ちゅうげん)音韻』から推定される「近世音」、および現代標準語音(北京(ペキン)音)がおもな結節点をなす。
〔1〕古代語は単音節の単語が多く、孤立語的性格も強いが、他面「見」*kiän去声(見る)→*g‘iän去声(見られる、現れる)のごとき子音の交替、「将」*tsiang平声(率いる)→*tsiang去声(率いる者、大将)のごとき声調の交替による屈折語的な派生法もみられる。「吾誰欺」(ワレ誰(タレ)ヲカ欺(アザム)カン)、「不吾知」(ワレヲ知ラズ)のように、疑問代名詞や否定文の代名詞が目的語となる場合、それが動詞の前に置かれ、一人称代名詞の主格と所有格には「吾」が多く使われ、目的格(動詞に後置)には「我」が多く使われた。「上古音」が*kl-, *pl-などの二重子音、, などの無声鼻子音を有したのも後世にはない特色である。
〔2〕中世語には、代名詞「是」(これ)が主述の関係を示す「繋詞(けいし)」に変じ、名詞述語文(AはBである)が古代語における「A、B也(なり)」から「A是B」となり、三人称代名詞(「伊」「渠」「他」など)や名詞複数語尾(「等」「輩」など)の発生、(「1匹の馬」のごとく)名詞を数える際に添えられる類別詞(「枚」「箇」「匹」「頭」など)の発達、動詞の複合形式が発達し、動作の分析的表現が容易になるなど、現代語にもつながる新しい変化が多くみられる。「這」(これ)、「什麼」(なに)、「喫」(食べる)など、現代の常用語でこの時期に姿を現したものも少なくない。名詞語尾「子」(「椅子(いす)」「帽子」など)の使用も唐代には盛んとなった。「中古音」はなお相当複雑な組織をもち、音節初頭子音(声母)には全清音(p,t,k,tsなど無声無気音)、次清音(p‘,t‘,k‘,ts‘など無声有気音)、全濁音(b,d,g,dzなど有声音)、次濁音(m,n,l,jなど鼻音・流音・弱摩擦音)の4系列があり、音節末音(韻尾)にはi,uのほかにm,n,ŋ,p,t,kがたち、中心母音の数も多く、声調は平声、上声、去声、入声の4種(四声)があった。
〔3〕近世語は、中世語に現れた革新を継承しつつ、動詞の態を示す語尾「了」(完了)、「着」(持続)、「起」(開始)が確立し、一人称代名詞の包括形(聞き手を含む意味での「われわれ」)「咱(喒)」、非包括形「俺」、名詞語尾「兒」の使用が多くなるなど、新しい特色を増した。「近世音」では全濁音が全清音または次清音に合流し、入声が消失または弱化し、中心母音の数も減るなど、発音組織の単純化が進み現代標準語の発音体系にかなり近づいている。
〔4〕現代語は、このような近世語の基礎のうえに、近代的な概念や事物、さらに社会主義の思想や体制に対応する語彙(ごい)や表現が加わって成り立ったものである。口語文が公用の文体となり、魯迅(ろじん)、毛沢東(もうたくとう)など有名著作家の文体は口頭語にも影響を与えた。西欧語の話法が取り入れられて精密な表現がなされるようになった反面、口語文の表現は近年かえって生硬になったともいわれる。
[平山久雄]
中国語が話される地域は、歴史上、漢民族の発展に従い、もとの黄河流域からその周辺、ことに南方へと拡大したが、その間、方言の相違が顕著となった。前漢の揚雄(ようゆう)が著した『方言』は当時のおもな方言地域の語彙を対照した書物である。六朝(りくちょう)時代の南朝では、土着の南方方言と、支配階層が北方からもたらした北方方言とが並び行われた。現代中国語に存在する無数の方言は、発音上・語彙上の特徴により次の5群に大別される。
〔1〕北方方言(官話方言)。揚子江(ようすこう)以北(以南では南京(ナンキン)市周辺、貴州省、雲南省など)の広大な地域を占め、中国国内の漢民族人口11億8260万(2002)の約70%の人たちにより話される。内部はさらに華北方言(東北三省・河北省・河南省・山東省)、西北方言(山西省・陝西(せんせい)省・甘粛(かんしゅく)省)、西南方言(湖北省・四川(しせん)省・雲南省・貴州省)、江淮(こうわい)方言(安徽(あんき)省・江蘇(こうそ)省)に分けられる。
〔2〕呉(ご)方言。江蘇省(揚子江以南)、浙江(せっこう)省。いわゆる上海(シャンハイ)語、蘇州語はこれに属する。
〔3〕閩(びん)方言。いわゆる福建語。福州を中心とする閩北方言、厦門(アモイ)を中心とする閩南方言に分けられる。閩南方言は広東(カントン)省東部(潮州・汕頭(スワトウ)など)、台湾、海南島にも広がる。
〔4〕粤(えつ)方言。いわゆる広東語。広東省、広西チワン族自治区、香港(ホンコン)。海外華僑は多く粤方言および閩方言を日常語とする。
〔5〕客家(ハッカ)方言。北方の戦乱や飢饉(ききん)を逃れた難民の子孫という客家の人々の方言。広東・福建・江西の境界地帯を中心に、華南各地に散在。
以上5群のほかにも湘(しょう)方言(湖南省)、贛(かん)方言(江西省)など中間的な方言がある。これら方言群の間では、音声の差がもっとも大きく、語彙がこれに次ぎ、文法の差は比較的小さい。基礎語彙200語における同語源単語の比率をもとに方言群間の距離を測ると、〔1〕からみて〔2〕〔4〕〔5〕〔3〕の順で差が開き、〔1〕と〔3〕は英語とドイツ語よりも離れている。これら諸方言に共通する祖先を想定し、漢祖語と名づけるならば、漢祖語の年代は古代語の時期に属するであろうが、漢祖語から分化してのちも、各方言は同じ方向に変化する傾向があったため、見かけ上の漢祖語の年代はそれより新しく、ことに、各方言の発音体系は「中古音」が別々の方向に変化したものとしてだいたい説明できる。
方言の分化は、一方では標準語を生んだ。中国歴代の政治、文化の中心はおおむね華北にあったので、華北とくに首都の置かれた地域の方言が標準語の役割を果たし、白話小説や語録なども北方方言で記され、それが清(しん)朝時代の「官話」を経て現代の標準語(「普通話(プートンホワ)」、中華民国時代には「国語」)に受け継がれ、学校教育やマスコミを通じて全国に普及しつつある。「普通話」は北方方言の語彙と北京の発音により、近代の代表的著作に文法規範を仰ぐものと公式には規定されているが、話しことばとしての標準語は、現実には話し手の出身地の訛(なま)りを含むこと、他の国々におけると同様である。近代以前にあっては、文語が共通語として識字階層の間に大きな役割を演じた。つまり、漢字文を各地方の人が自己の方言音で読み、理解することにより、漢民族の政治的、文化的統一が維持されたといえる。このような機能は現代の文章語にもあり、中国語のローマ字化が困難である一つの理由は、単語の発音が方言により大きく異なることにある。
[平山久雄]
中国語は、音節のくぎれが明瞭(めいりょう)である。音節は、初頭子音である声母、声母を除く残りの部分である韻母、音節が担う音調である声調に三分される(声調も韻母に含められることがある)。韻母はさらに介音、主母音、韻尾に三分される。たとえば「官」の字音[kuan]を構成する四つの音声は順に声母、介音、主母音、韻尾にあたり、これに声調として高平等の音調(第一声)が加わっている。このような音節構造は「上古音」以来変わっていないが、「馬」[ma]のように介音や韻尾を欠く場合もある。声母の同じ字を「双声」、韻母(と声調)の同じ字を「畳韻」といい、詩文の音調を整えるために利用された。韻母が同じまたは似た字は韻文のなかで互いに押韻できるが、唐詩などの古典詩では声調の同じことも押韻に必要な条件であった。「中古音」にあった4系列の声母のうち、全濁音は呉方言など一部の方言を除いて、現在では全清音または次清音に合流した。現代中国語に濁音がないといわれるのはこのためである。声調は中国語の発音における大きな特色であり、「中古音」の平・上・去・入の四声がそれを担う音節の声母の清・濁を条件に分裂や合流をおこし、現代方言の声調体系を生んだ。北京方言では、平声が二分され、上声の一部が去声となり、入声が失われた結果、第一声(陰平声、高平調)、第二声(陽平声、上昇調)、第三声(上声、低くぼみ調)、第四声(去声、下降調)となり、ほかに語尾や助詞の声調が弱まって生じた「軽声」がある。同じ[ma]という音節でも、第一声で発音すれば「媽(ま)」(お母さん)、第二声で発音すれば「麻」(あさ)、第三声で発音すれば「馬」(うま)となるなど、声調は単語を区別する重要な要素である。南方方言は一般に声調の数が多く、広州方言では平・上・去声が二分され、入声が三分されて九つの声調をもつ。入声は短く詰まることを特色とする。声調によって中国語は抑揚に富んだ音楽的な印象を与える。声調による区別を含め、「中古音」には約3500、現代広州方言には約1800、北京方言には約1300の音節がある。
音節が連なって複音節語や句をつくるとき、ストレス・アクセントがそこに加わる。たとえば「大字」dàzìは、第1音節にストレスがあれば“「大」という字”、第2音節にストレスがあれば“大きい字”の意味となる。このような現象は古代語にもあり、たとえば「射人」は、「射」にストレスがあれば“射手”、「人」にストレスがあれば“ 人を射る”の意となるごとく、文法構造とストレスの間に一定の関係があったとみる学者もある。
中国語を書き表すには漢字が用いられてきた。漢字は字形、字音、字義の3要素からなる表語文字である。字音は通常1音節からなる。字形の構成原理として象形、指事、会意、形声、転注、仮借(かしゃ)の「六書(りくしょ)」があり、字体には篆(てん)書、隷書、楷(かい)書などの別があるが、字画を省略した俗字体(「劉」に対する「刘」のごとき)も民間では多く用いられた。中華人民共和国は約2200の簡体字(略字)を正式字体として制定(1956および1964)したが、このなかには俗字体を採用したり、古代の字形(「從」に対する「从」のごとき)を復活したものが少なくない。表音文字で中国語を表した例は、元代のパスパ文字によるもの、明(みん)末のローマ字によるもの(ヨーロッパ人宣教師による)があるが、近代ではウェード・ジャイルズ式のローマ字表記が広く行われ、中華民国時代には声調を綴(つづ)り込んだ「国語ローマ字」方式や、日本の片仮名に似た字形の「注音字母」を組み合わせる方式が行われた。中華人民共和国では「漢語拼音(へいおん)方案」(1958)とよぶローマ字綴りが制定され、国外でもしだいにウェード・ジャイルズ式にとってかわりつつあるが、いまのところ漢字の標音や転写の手段にすぎず、漢字や漢字文が廃れる兆しはない。
[平山久雄]
中国語は単音節性の言語といわれる。これを、単語の多くが1音節の語形をもつという意味にとるならば、古代語は確かにその傾向が強かった。たとえば『論語』の第一句「学而時習之」は一音節語のみからなる。しかし、発音組織が単純化し、音節数が減るとともにしだいに複音節語が増え、現代語はもはや一音節語が多数を占めるとはいえない。ただ、音声と意味の結合した最小単位である形態素の多くが、1音節であるという意味でならば、中国語は依然として単音節性の言語だといえる。たとえば、「卓子」(テーブル)、「好看」(美しい)はいずれも2音節の単語であるが、意味上はおのおの1音節の形態素に分解される。一方では、「逍遙(しょうよう)」「彷彿(ほうふつ)」「蟋蟀(しっしゅつ)」(こおろぎ)など単音節に分解しては意味をなさぬ二音節形態素(同時に単語)が古代語に存在し、それらの多くは双声あるいは畳韻の音節からなるものであった。現代でも「疙(コータ)」(できもの)、「角落」(すみっこ)、「蜻蜓」(とんぼ)などでは二音節形態素であり、「太陽」(お日さま)、「麻煩」(めんどうな)のように語源上は二つの形態素に分けられても、現在の話者の意識ではもはや分割が困難なものも生じている。また、指小語尾「兒」のように音節としての独立性を失い、語幹音節の韻尾として加わるにすぎなくなった形態素もある。
文法的には、中国語は孤立語だといわれる。すなわち、文法関係が、インド・ヨーロッパ語など屈折語のように、単語の内部屈折や語尾変化によらず、またアルタイ語など膠着(こうちゃく)語のように付属語や助辞の添加にもよらず、自立語の配列される語順によって表されるという意味である。たとえば「我打人」(私は人を打つ)と「人打我」(人は私を打つ)の相違はもっぱら語順に頼っている。しかし、古代語でも「之」「者」「也」のごとき付属語があり、中世語以降は膠着語的な傾向をいっそう増してきた。現代語における「了」「着」の付着は動詞の語尾変化ともみなしうる。現代の中国語は単音節性、孤立語性、前置詞句の発達などの点で現代英語と似た面があるが、他方では「他是日本女人」(彼は日本女性だ。「彼の妻は」の意)のごとき主語―述語の意味関係の自由さ、「我肚子疼」(私は腹が痛い)のごとき二重主語文の存在、文末に置かれた助詞(「嗎」「呢」「吧」など)によって疑問、断定、推量などのムードが表現されることなど、案外日本語と似通う一面もある。
文中のどの位置にたちうるかという能力すなわち職能は、単語によって相違があり、これによる品詞分類が可能である。現代語でたとえば「打」「来」などは単独で述語となれるが、「我」「人」などが述語となるには繋詞「是」の助けを借りねばならず、前者は動詞、後者は名詞として分類される。形容詞は、動詞と職能が近く、動詞の下位区分の一つにあたる。日本語の「学習する」「科学的」などのような品詞転換用の語尾に乏しいので、同形の単語がそのまま異なる品詞に使われることがある。たとえば「学習」は名詞と動詞に、「科学」は名詞と形容詞に用いられる。古代語では「君不君」(君、君タラズ)、「豕人立」(豕(ぶた)、人ノゴトク立ツ)のごとく品詞の転換はいっそう自由であった。
語彙の面でもっとも特色あるのは親族名称であり、男系の親族と女系の親族をはっきり分けるのが原則で、同じ「おじ」でも「伯父」(父の兄)、「叔父」(父の弟)、「舅父(きゅうふ)」(母の兄弟)などが区別される。古代語では、家畜について「羔(こう)」(仔羊(こひつじ))、「羝(てい)」(牡(お)羊)、「牂(そう)」(牝(め)羊)のごとき多くの名称があったが、今日では「小羊」(仔羊)、「公羊」(牡羊)、「母羊」(牝羊)のごとく合成語を用いる。現代語では、口語語彙のほかに種々の程度に文語的な語彙が豊富にあり、たとえば「め」は、口語では「眼睛」だが、熟語や多少硬い表現では単に「眼」といい、さらに文語的な表現では「目」を用いる。擬声語は日本語のように豊富ではないが、「暖烘烘」(ぽかぽか暖かい)「直截了当」(きっぱりと)、「実事求是」(事実に即して)など3字・4字の形容句・成句が多くあって、表現に色彩を添える。少数の尊敬語・謙譲語があるほかは、とくに敬語の組織はなく、男女の言語差もほとんどない。
中国語は外来語の比較的少ない言語といわれる。「琵琶(びわ)」「葡萄(ぶどう)」などは西域から古代語に入った外来語、漢以後仏典の翻訳に伴いサンスクリットから「和尚(おしょう)」「刹那(せつな)」などが入り、近世ではモンゴル語、満州語から「胡同」(横丁)、「站(たん)」(駅)などが入り、近現代では「阿片」(アヘン)、「咖啡」(コーヒー)、「邏輯」(ロジック)などが英語から入った。これらは音訳語であるが、仏典翻訳の際には「世界」「現在」「地獄」などの意訳語がつくられ、近くは欧米の事物を取り入れるに際し、用語を意訳することが多い。「鉄路」(鉄道)、「電視」(テレビ)、「輸入」(電算機のインプット)などである。「経済」「社会」のごとく日本人が考案した意訳語を使うことも多く、「手続」「場合」などの訓読語までも中国語に取り入れられた。「啤酒(ピーチウ)」(ビール)、「拖拉機」(トラクター)のごとく音訳字と意訳字を結合させたもの、「可口可楽」(コカコーラ)のごとく音訳字にある意味を表現させたものもあり、漢字のもつ表意性の根強さを物語っている。
[平山久雄]
日本語は、推古(すいこ)天皇のころから大量の漢字(とその音(おん))および漢字で書かれた語彙(いわゆる漢語)を取り入れ、明治以後、近代文明の摂取にあたっても、漢字によって西欧の語彙を意訳した。今日、これら新旧の漢語を用いずに言語生活を営むことはほとんど不可能である。数詞のごときも漢語系の「一(いち)、二(に)、三(さん)」などが和語「ひ、ふ、み」などを圧倒している。また、漢文訓読によって「……スル所ノ」「未(いま)ダ……セズ」等いわゆる漢文調の言い回しが生まれた。今日の日本語で盛んに用いる「……的(てき)」の表現も、江戸・明治の学者が中国の白話小説にみえる助詞「的」を音読したことに起源をもつ。発音の面でも拗(よう)音や撥(はつ)音が生じたのは漢字音の影響という。朝鮮、ベトナムもまた唐およびその前後の時代に漢字文化を取り入れ、大量の中国語彙を借用した。これらは今日でも多く使われている(ただし、ベトナムではローマ字化され、朝鮮ではハングル化された)。日本を含めこれら漢字文化圏の諸国では、長らく中国文語が正式の文章とされ、中国文語はヨーロッパ中世におけるラテン語に似た役割を果たした。
その他の周辺言語は漢字を用いなかったが、中国語から若干の単語を借用した。モンゴル語のbaksi(先生。「博士」に由来)のごときがそれである。華南のタイ系、苗(ミャオ)系の少数民族語は、漢民族との交渉が深く、新旧多くの借用語を含んでいる。
[平山久雄]
『山田孝雄著『国語の中に於ける漢語の研究』(1940・宝文館)』▽『王力著『漢語史稿』全3巻(1957~58・北京・科学出版社)』▽『太田辰夫著『中国語歴史文法』(1958・江南書院)』▽『牛島徳次・香坂順一・藤堂明保編『中国文化叢書1 言語』(1967・大修館書店)』▽『中国語学研究会編『中国語学新辞典』(1969・光生館)』▽『藤堂明保・相原茂著『新訂中国語概論』(1985・大修館書店)』▽『高田時雄著『敦煌資料による中国語史の研究 九・十世紀の河西方言』(1988・創文社・東洋学叢書)』▽『S・R・ラムゼイ著、高田時雄・阿辻哲次・赤松祐子・小門哲夫訳『中国の諸言語――歴史と現況』(1990・大修館書店)』▽『水谷真成著『中国語史研究 中国語学とインド学との接点』(1994・三省堂)』▽『高野繁男著『近代漢語の研究 日本語の造語法・訳語法』(2004・明治書院)』
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…しかしより厳密にいえば,漢字は表意文字というよりもむしろ表語文字logographであるというべきである。というのは〈日〉は直接太陽の観念を表すというよりは中国語の単語rìまたは日本語の単語hiを表すと考えるべきであるからである。もっとも〈日〉の例だと,この文字の古形は太陽を象徴していたから〈表意〉といえるであろうが,たとえば〈鯉(こい)〉のような文字になると,この文字自身からはただ〈魚〉に関係があることがいえるだけで,表意はこの場合すこぶる不完全である。…
…個々の漢字の示す音(オン)。中国語以外の言語では,中国語の字音をその漢字と共に借用して自らの言語に順応させた音をいい,特に〈漢字音〉とも称する。中国語からの借用に当たっては,字音は個々の言語の音韻体系,音節構造に適合するように変形される。…
…正式名称=中華人民共和国People’s Republic of China面積=960万km2人口(1996)=12億2390万人(台湾・香港・澳門を除く)首都=北京Beijing(日本との時差=-1時間)主要言語=中国語(漢語)通貨=元Yuan
【概況】
[建国]
1949年10月1日,北京(当時は北平と呼ばれた)の天安門楼上で,中国共産党主席毛沢東は,中華人民共和国の成立を高らかに宣言した。これによって,台湾および金門,馬祖など若干の島嶼(とうしよ)をのぞき,中国大陸に真の統一国家が実現し,この日はこれ以後,建国記念日,すなわち国慶節として国家の記念日に指定された。…
※「中国語」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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