綱原村
つなはらむら
現佐原市東部の多田のうち綱原付近に比定される。香取社大禰宜家大中臣氏の所領で、平安時代末期からみえる葛原牧のうち織幡・小野と併称される葛原牧が綱原村とみなされ、葛原村とも記される(→葛原牧・大槻郷)。応保二年(一一六二)閏二月日の関白左大臣藤原基実家政所下文写(香取文書)に「織服・小野・綱原」とみえ、大禰宜の大中臣真房(実房)が偽って留守所の符を与えられ、故左大臣藤原頼長との強縁によって二ヵ年の間、当村を含む三ヵ村を収公してしまった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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