日本歴史地名大系 「綱取村」の解説 綱取村つなとりむら 山形県:西村山郡西川町綱取村[現在地名]西川町綱取寒河江(さがえ)川中流左岸の綱取川流域に集落が位置し、東は間沢(まざわ)村。沼(ぬま)の平(たいら)は綱取川中流の傾斜地にあり、すぐ北は岩根沢(いわねざわ)村である。沼の平には館跡があり、谷地(やち)城(現河北町)城主白鳥十郎長久の一族、東海林隼人助昌種が居住していたという。最上氏領から元和八年(一六二二)酒井忠重領となり、寛永一五年(一六三八)幕府領、安政三年(一八五六)以降松前藩領。「最上記」では元和九年の高一九五石余。正保郷帳では田方一七八石余・畑方一一石余。寛文一三年(一六七三)の検地高三一一石余。宝暦二年(一七五二)には凶作のため、翌三年から五ヵ年間三分八厘の減少で定免の更新を願った。本田取高七五石余・新田取高一石余で、名主は新兵衛であった(石田区有文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報