綾堀屋敷町(読み)あやほりやしきちよう

日本歴史地名大系 「綾堀屋敷町」の解説

綾堀屋敷町
あやほりやしきちよう

[現在地名]堺市綾之あやの西にし二―三丁

綾町中浜あやのちようなかはまより西、七堂しちどう浜に至るまでの町。南は錦之にしきのはま。元禄二年(一六八九)堺大絵図は、大浜おおはま筋・五貫屋ごかんや筋とさらに一本西の浜筋のそれぞれ東西の両頬を「綾堀屋敷町」とし、三三筆の宅地を記す。海岸に近づくほど先細りした三角形の町で、堺にあってはきわめて特異な形となっているが、これは元和の都市計画が綾之町以北の南北町筋を北西に振ったことから、接点にあたる当町でその矛盾を処理したためである。大道より西五筋目に本屋敷町の異称がある(申唱之町名「堺市史」所収)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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