綿田村(読み)わただむら

日本歴史地名大系 「綿田村」の解説

綿田村
わただむら

[現在地名]朝地町綿田 綿田

徳野原とくのはる村の東にあり、平井ひらい川とその支流真竹またけ川に挟まれる。正保郷帳に村名がみえ、田高一〇二石余・畑高五三石余、阿志野あじの郷に属した。旧高旧領取調帳では高二六二石余。安永七年(一七七八)には阿志野組に属し、同組大庄屋市右衛門の役宅があった(大庄屋・小庄屋・横目一覧「農民一揆」所収)。江戸後期には阿志野組大庄屋利兵衛は郷中加談役に任じられた(「藩政時代之雑事」羽田野家文書)岡藩の小制札場が設けられていた(岡藩御覧帳細注)おか城下(現竹田市)から三佐みさ(現大分市)への往還のうち、肥後街道へ出る道筋は従来当村のしもそのから左に入込み、かめヶ岳東側を通り、中熊なかぐま村内の四方水よほうずへ出ていたが、延宝元年(一六七三)以降下ノ園から当村を通り四方水に出る道筋となった(両郡古談)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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