日本歴史地名大系 「総社跡」の解説 総社跡そうじやあと 広島県:安芸郡府中町府中村総社跡[現在地名]府中町本町三丁目石井(いしい)城跡南方、榎木(えのき)川右岸に明治七年(一八七四)まであった神社。安芸国府比定地の東辺にあたる。一般に総社の制は平安中後期の成立とされるが、安芸国総社の初見は建久九年(一一九八)正月日付の平兼資解(「芸藩通志」所収田所文書)で、「惣社正月一日田」とみえる。その後鎌倉中期の安芸国衙領注進状(田所文書)と正応二年(一二八九)正月二三日付の沙弥某譲状(同文書)にみえ、前者によれば「仁王講免」「法花経免」などの名目で国衙領内に認められていた免田は確実なものだけで六町一反を数える。しかし、毛利氏八箇国時代分限帳(山口県文書館蔵)では社領は一〇石弱になっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報