日本歴史地名大系 「練塀町」の解説 練塀町ねりべいちよう 東京都:台東区旧下谷区地区練塀町[現在地名]台東区秋葉原(あきはばら)、千代田区神田練塀町(かんだねりべいちよう)明治五年(一八七二)に起立。江戸時代神田川に架かる和泉(いずみ)橋の北西、神田松永(かんだまつなが)町・神田相生(かんだあいおい)町(現千代田区)の間を北に向かう道が下谷練塀小路で、幕末頃両側はおもに武家地であった。東は武家屋敷(現同上)、西も松下(まつした)町二丁目北側・同三丁目北側、永富(ながとみ)町三丁目の各代地と武家屋敷(以上現同上)、北は下谷長者(したやちようじや)町一丁目と御徒組屋敷。町名の由来は昔練塀の家が多かったからとか(下谷通志)、南隅に河野某の屋敷があり練塀が目立ったからとかいわれる(御府内備考)。明和四年(一七六七)の吉文字屋版切絵図に「子リベイトヲリ」と記されているように、この通称は江戸時代後期から用いられていた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by