練馬城跡(読み)ねりまじようあと

日本歴史地名大系 「練馬城跡」の解説

練馬城跡
ねりまじようあと

[現在地名]練馬区向山三丁目

豊島としま園一帯が跡地で、矢野山やのやま(「練月山縁起」愛染院文書)といい、豊島城とも称する。文明九年(一四七七)一月、石神井豊島勘解由左衛門・平右衛門兄弟が蜂起した際、取立てた城郭(鎌倉大草紙)。同年四月一三日、太田道灌の攻撃を受け(一一月二八日「太田道灌書状写」松平文庫所蔵文書)、平右衛門は討死し落城したという(「鎌倉大草紙」など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)一定の主義・主張がなく、安易に他の説に賛成すること。「多数派に付和雷同する」[補説]「不和雷同」と書くのは誤り。[類語]矮人わいじんの観場かんじょう・同意・賛同・支持・賛成・雷同・便乗・...

付和雷同の用語解説を読む