縁山畑村(読み)へりやまはたむら

日本歴史地名大系 「縁山畑村」の解説

縁山畑村
へりやまはたむら

[現在地名]若宮町縁山畑

脇田わきた村の南、犬鳴いぬなき川支流八木山やきやま川の支流沿いの峡谷に位置し、北に植立松山と大道だいどう山、南西に牟田尾むたがお山、南にすが嶽などがそびえる山間地である。南西はねこ峠を越えて表粕屋おもてかすや萩尾はぎのお(現篠栗町)、東は湯原ゆばる村。「続風土記拾遺」によると、脇田村の頓々とんとん谷からは「桟と云山を越て大峠と云に」至り、同所で湯原村からの小道を合せて当村に入った。慶長年間(一五九六―一六一五)に三名の農民がやってきて家を建て、承応年間(一六五二―五五)田圃を開墾したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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