織田寺跡(読み)おたでらあと

日本歴史地名大系 「織田寺跡」の解説

織田寺跡
おたでらあと

[現在地名]織田町織田

織田のつるぎ神社の神宮寺で、社の南方一帯を占めた。現存しない。劔神社蔵の梵鐘に「劔御子寺鐘 神護景雲四年九月十一日」の銘があり、すでに奈良時代に神宮寺のあったことが知られる。

近江若狭・越前寺院神社大事典〉

〔中世〕

鎌倉時代に入り、当地一帯を含む織田荘が三門跡の一つ天台宗妙法みようほう(現京都市東山区)領になると、当別当寺も延暦寺の末寺になったと思われる。享徳二年(一四五三)一二月日の延暦寺学頭代等衆議状(劔神社文書)に「定 山門本院東谷檀那院末寺事 合壱寺越前国号織田寺」と寺名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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