織田荘(読み)おりたのしょう

百科事典マイペディア 「織田荘」の意味・わかりやすい解説

織田荘【おりたのしょう】

若狭国三方(みかた)郡東部にあった青蓮(しょうれん)院門跡(もんぜき)領の荘園。現在の福井県美浜(みはま)町北田・佐田・太田・山上付近に比定される。1213年,前天台座主慈円(じえん)が朝仁(ともひと)親王(道覚法親王)に譲渡した門跡領のうちに,常寿(じょうじゅ)院(現京都市左京区)分として〈織田荘,同浦三所〉とみえる。同年の慈円所当配分状によると,もとは半不輸地であったが院宣により一円荘になったという。当時の収納分は300余石,うち124石余が青蓮院の本堂である熾盛光(しじょうこう)堂の諸仏事用途にあてられている。1234年の慈源所領注文でも常寿院領で,〈所当六百石国定,在雑事等〉とある。鎌倉後期には惟宗(これむね)氏が下司(げし)であった。

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改訂新版 世界大百科事典 「織田荘」の意味・わかりやすい解説

織田荘 (おりたのしょう)

若狭国三方(みかた)郡東部(現,福井県三方郡美浜町北田,佐田,太田付近)にあった青蓮院門跡領荘園。1265年(文永2)の若狭国惣田数帳写には〈織田庄廿町〉と見え,続く記載から判断して山東・山西両郷にまたがって成立したものと推定される。1213年(建保1)2月,前天台座主慈円が朝仁親王(道覚法親王)に譲進した門跡領諸所のうちに,常寿院分として〈織田庄,同浦三所〉と記されるのが初見。同年4月の慈円所当配分状によると,もと〈半不輸之地〉であったが,院宣により〈一円庄〉とされたとあり,当時の収納分は300余石,うち124石8斗が青蓮院熾盛光(しじようこう)堂の諸仏事用途に充てられている。34年(文暦1)8月の慈源所領注文でも,やはり常寿院領で〈所当六百石国定,在雑事等〉とある。鎌倉後期には惟宗氏が下司であった。1461年(寛正2),幕府が守護武田信賢に使者の入部停止を命じた事実があるが,以後史料上に荘名を見いだせない。
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