百科事典マイペディア 「織田荘」の意味・わかりやすい解説
織田荘【おりたのしょう】
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若狭国三方(みかた)郡東部(現,福井県三方郡美浜町北田,佐田,太田付近)にあった青蓮院門跡領荘園。1265年(文永2)の若狭国惣田数帳写には〈織田庄廿町〉と見え,続く記載から判断して山東・山西両郷にまたがって成立したものと推定される。1213年(建保1)2月,前天台座主慈円が朝仁親王(道覚法親王)に譲進した門跡領諸所のうちに,常寿院分として〈織田庄,同浦三所〉と記されるのが初見。同年4月の慈円所当配分状によると,もと〈半不輸之地〉であったが,院宣により〈一円庄〉とされたとあり,当時の収納分は300余石,うち124石8斗が青蓮院熾盛光(しじようこう)堂の諸仏事用途に充てられている。34年(文暦1)8月の慈源所領注文でも,やはり常寿院領で〈所当六百石国定,在雑事等〉とある。鎌倉後期には惟宗氏が下司であった。1461年(寛正2),幕府が守護武田信賢に使者の入部停止を命じた事実があるが,以後史料上に荘名を見いだせない。
執筆者:須磨 千穎
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