織田貞置(読み)おだ・さだおき

朝日日本歴史人物事典 「織田貞置」の解説

織田貞置

没年:宝永2.6.2(1705.7.22)
生年:元和3(1617)
江戸前期の武士,茶人。織田信長の孫,父は織田左京亮信貞。通称五郎左衛門。永年堂,黄雀軒,三過老人などと号した。寛文1(1661)年禁裏造営奉行を務め,同3年高家となり従五位下侍従,主計頭叙任。禄1000石を給せらる。茶を織田有楽斎の甥織田長好に学び,有楽流の一派として貞置流を開いた。尾張徳川家2代光友,3代綱誠に茶を呈した。『茶道正伝集』に好みの茶室が記されるが,いずれも現存しない。門下に尾張家に仕えた織田貞幹,『懐蔵集』の著を残した坂田正輔,『咄覚集』『貞要集』などの著書で貞置門七人衆に数えられる松本見休などがいる。

(谷端昭夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「織田貞置」の解説

織田貞置 おだ-さだおき

1617-1705 江戸時代前期の武士,茶人。
元和(げんな)3年生まれ。織田信長の孫。徳川秀忠につかえ,小姓組,進物番をへて寛文3年高家,主計頭(かずえのかみ)となる。織田長好に有楽流茶道をまなび,貞置流をおこした。宝永2年6月2日死去。89歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。通称は五郎左衛門。号は茅翁,山花,黄雀軒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の織田貞置の言及

【有楽流】より

…道八の子三五郎(織田長好。?‐1651)は,信長の孫である織田貞置(1617‐1704)にその茶風を伝えた。貞置はよく有楽流の茶を守り,貞置流という一派をおこしている。…

※「織田貞置」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android