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織田貞置 おだ さだおき

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美術人名辞典の解説

織田貞置

江戸前・中期の武人・茶人。尾張生。織田信長の孫、左京亮信貞の子。号は一谷茅翁・三過・黄雀軒・文芳翁・永年堂等、通称を五郎左衛門。本能寺の変に遭い、家臣蝿原雅楽介に助けられ近江に隠れる。徳川家康の政権確立と共に二代将軍秀忠に召出され一千石を賜わる。従五位下主計頭に叙任された。茶湯は織田有楽齋の孫三五郎長好に学び、のち高島玄端の指導を受けて有楽流の一派、貞置流の祖となる。宝永元年(1704)歿、89才。

出典|(株)思文閣
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

織田貞置 おだ-さだおき

1617-1705 江戸時代前期の武士,茶人。
元和(げんな)3年生まれ。織田信長の孫。徳川秀忠につかえ,小姓組,進物番をへて寛文3年高家,主計頭(かずえのかみ)となる。織田長好に有楽流茶道をまなび,貞置流をおこした。宝永2年6月2日死去。89歳。尾張(おわり)(愛知県)出身。通称は五郎左衛門。号は茅翁,山花,黄雀軒。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

織田貞置

没年:宝永2.6.2(1705.7.22)
生年:元和3(1617)
江戸前期の武士,茶人。織田信長の孫,父は織田左京亮信貞。通称五郎左衛門。永年堂,黄雀軒,三過老人などと号した。寛文1(1661)年禁裏造営奉行を務め,同3年高家となり従五位下侍従,主計頭に叙任。禄1000石を給せらる。茶を織田有楽斎の甥織田長好に学び,有楽流の一派として貞置流を開いた。尾張徳川家2代光友,3代綱誠に茶を呈した。『茶道正伝集』に好みの茶室が記されるが,いずれも現存しない。門下に尾張家に仕えた織田貞幹,『懐蔵集』の著を残した坂田正輔,『咄覚集』『貞要集』などの著書で貞置門七人衆に数えられる松本見休などがいる。

(谷端昭夫)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典内の織田貞置の言及

【有楽流】より

…道八の子三五郎(織田長好。?‐1651)は,信長の孫である織田貞置(1617‐1704)にその茶風を伝えた。貞置はよく有楽流の茶を守り,貞置流という一派をおこしている。…

※「織田貞置」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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