ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フェルディナント2世」の意味・わかりやすい解説
フェルディナント2世
フェルディナントにせい
Ferdinand II
[没]1637.2.15. ウィーン
ボヘミア王 (在位 1617~27) ,ハンガリー王 (在位 18~25) ,神聖ローマ皇帝 (在位 19~37) 。ハプスブルク家出身。インゴルシュタットでイエズス会士の教育を受け,厳格なカトリック信者となった。当時オーストリアでは多数の貴族,市民,農民がプロテスタントであったが,フェルディナントはこれらに対して強圧的な姿勢でのぞんだ。 1617年にボヘミア王,18年にハンガリー王に即位。 19年8月前帝マティアスの死後,皇帝に選出されたが,すでに前年プロテスタントが多数を占める,ボヘミアとオーストリアの議会は,カトリックの対抗宗教改革を強制しようとしたフェルディナントの王位を廃位し,ボヘミアで反乱を起していた。通常この反乱が三十年戦争勃発の端緒とされている。帝の前途は容易ならぬものであったが,20年 11月ボヘミアの反乱を鎮圧。ボヘミアではカトリック信仰が再び強要され,ハプスブルク家のボヘミアに対する宗主権を確実なものとした。 25年 A.ワレンシュタインを皇帝軍総司令官に起用し,ドイツ内の反対勢力を破り,27年プロテスタント側のデンマークとの戦争に勝利を占めると,29年余勢を駆って復旧勅令を発し,旧カトリック諸侯領を返還させようとした。しかし帝の中央集権主義は新,旧両教諸侯を離反させ,彼自身は三十年戦争のさなかに没した。
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