置塩庄(読み)おしおのしよう

日本歴史地名大系 「置塩庄」の解説

置塩庄
おしおのしよう

「蔭涼軒日録」寛正六年(一四六五)一二月五日条に置塩庄とみえ足利義政は京都南禅寺慧雲院を京都相国しようこく寺慶雲院に移すこととし、当庄の寄進を決定した。以後同書に当庄の記事が散見される。長享三年(一四八九)には当庄庄主職は京都建仁けんにん寺塔頭龍徳寺となっており、亀泉集証のもとで所領経営に当たっていた鼎材集丹が浦上則宗と後藤則季の推挙を受けて補任された(同書同年五月一八日条・六月三日条)。また延徳二年(一四九〇)には赤松政秀により諸公事が免除され(同書同年二月九日条)、同三年一〇月には役夫工米について集証が小寺則職と薬師寺貴能書状を送っている(同書同月三〇日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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