羽丹生庄(読み)はにうのしよう

日本歴史地名大系 「羽丹生庄」の解説

羽丹生庄
はにうのしよう

足羽川の支流羽生はにう川の流域一帯に比定される。

天福二年(一二三四)八月付の慈源所領注文(華頂要略)に、延暦寺の別所無動むどう寺領として、「羽丹生庄 所当七十石 油一石 在雑事」とみえる。次いで天文八年(一五三九)一〇月一八日付の平泉寺賢聖院々領所々目録(平泉寺文書)に「羽丹生庄野波村守俊名一円、本役者百姓沙汰之」とあり、荘内の野波のなみ村守俊名が平泉へいせん賢聖けんじよう(跡地は現勝山市)の所領となっていたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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