埼玉県北東部、利根(とね)川右岸にある市。1954年(昭和29)羽生町と新郷(しんごう)、須影(すかげ)、岩瀬、川俣(かわまた)、井泉(いいずみ)、手子林(てこばやし)の6村が合併、市制施行。1959年千代田村を編入。東武鉄道伊勢崎(いせさき)線と秩父鉄道(ちちぶてつどう)が連絡し、東北自動車道羽生インターチェンジがあり、国道122号、125号が通じる。利根川の氾濫(はんらん)原で、中世末まで利根川はここより南下して東京湾に注いでいた。このため、市域各所に自然堤防、河畔砂丘などの微地形が多い。江戸時代は日光裏街道の宿駅で市場町も兼ね、4、9の市日には青縞(あおじま)木綿の取引が行われた。利根川沿岸の川俣には関所が置かれた。自然堤防上では、綿の栽培や藍(あい)作が盛んで、これらを利用して青縞の生産が行われたが、明治以後は足袋(たび)や被服の生産が盛んとなり、今日では東日本有数の被服工業の町に発展、農機具生産も盛んで、近年開発が著しく大沼工業団地(1970)、小松工業団地(1991)などが造成された。付近一帯は県下有数の穀倉地帯で、キュウリ、ナスなどの野菜生産も多い。田山花袋(かたい)の名作『田舎教師(いなかきょうし)』ゆかりの地で、羽生駅近くの建福(けんぷく)寺には「田舎教師の墓」、日光裏街道の川俣関所跡、1594年(文禄3)の利根川東流工事の川俣締切跡、国の天然記念物の宝蔵寺(ほうぞうじ)沼ムジナモ自生地、羽生水郷公園にはミヤコタナゴをはじめ、県内に生息する淡水魚約160種を飼育展示する「さいたま水族館」などがある。面積58.64平方キロメートル、人口5万2862(2020)。
[中山正民]
『『羽生市史』全3巻(1971~1976・羽生市)』▽『『羽生市40年のあゆみ』(1994・羽生市)』
埼玉県北東部の市。1954年市制。人口5万6204(2010)。利根川右岸の低地を占め,かつて利根川の乱流が最も激しかった地域のため自然堤防と河畔段丘の発達が顕著である。中世には埴生(はにゆう)荘があった。江戸期以来,自然堤防上でのワタ作と後背湿地での米作が行われてきたが,現在は米作のほか,ナス,キュウリなどの野菜栽培も盛んで,養豚は県下の中心地となっている。中心市街の羽生は4・9の日の六斎市に特産の木綿青縞(あおしま)を取引する市場町として発展,明治以降は青縞から転じた足袋と被服,いまでも学生服,作業服や下着類など各種の衣料生産の県内の中心地で,近年は大沼工業団地へ先端産業が立地した。1992年東北自動車道羽生インターが開設され,市内を通る国道122号,125号の通過車両が増えている。田山花袋の《田舎教師》の舞台で,曹洞宗建福寺にはモデル小林秀三の墓がある。宝蔵寺沼はムジナモ自生地(天)。東武伊勢崎線,秩父鉄道のほか,国道122号線が通じ,東京と群馬県方面とを結ぶ交通の要地でもある。
執筆者:新井 寿郎
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…アッシリア人も聖なる力と宇宙の再生力の象徴としての聖樹の信仰をもち,前2000年ころから多くの芸術的表現をもつ。このほか,ゴール人はオーク,ゲルマン人はボダイジュ,イスラム教徒はオリーブ,インド人はバニヤンと呼ばれるイチジク,シベリアに住む原住民族はカラマツを,それぞれ聖なる木として崇拝した。これらの木はすべて世界の軸として,天と地が結ばれる場所,神性の通り道となる。…
※「羽生」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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