羽方村(読み)はがたむら

日本歴史地名大系 「羽方村」の解説

羽方村
はがたむら

[現在地名]高瀬町羽方

財田さいた川の支流みや川上流に位置し、佐股さまた村の南にある。同川周辺に広がる丘陵地が村域の大部分寛永国絵図では二宮にのみや郷に所属。当村に鎮座する大水上おおみなかみ神社は讃岐二四式内社の一社とされ、二宮ともよばれた。二宮郷の郷名は同社にちなむと考えられる。前掲絵図の二宮郷は一二村が所属し、高三千二二石。元禄七年(一六九四)丸亀藩領から多度津藩領となり、同八年の喜内様御領分(丸亀市立資料館蔵)に「神田分リ」として村名がみえ、五一五石余。


羽方村
はがたむら

[現在地名]下館市羽方

小貝こかい川右岸に位置し、北は八田はつた村。古代は「和名抄」記載の博多はかた郷の本郷の地に比定され(常陸誌料郡郷考)、戦国期から水谷氏の支配地となる。江戸初期に下館藩領となり、元和九年(一六二三)の水野谷様御代下館領村々石高并名主名前控(中村家文書)や寛永一六年(一六三九)の下館領五万石村々石高牒(田宮家文書)に、村高六六六・二七七石とある。のち結城藩領・旗本領の相給となり、天保八年(一八三七)の常陸御国絵図御改之記(中村家文書)には村高六八四・六五一石、鎮守鹿島明神、家数三〇、馬一四、水野日向守領分・斎藤鍬吉・布施藤兵衛・三浦又左衛門・山谷惣三郎・久松庄左衛門・安部式部・国領市左衛門知行所、名主半兵衛・同直蔵とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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