朝日日本歴史人物事典 「西島八兵衛」の解説
西島八兵衛
生年:慶長1(1596)
江戸初期の水利技術者。名は之尤,のち之友。伊勢国(三重県)津藩主藤堂高虎に召し抱えられ京都二条城,大坂城の普請に従ってその才をあらわした。元和7(1621)年に藤堂高虎の女婿讃岐生駒藩主生駒正俊の急死により,讃岐へ遣わされ生駒藩政を監視した。寛永2(1625)年に再び讃岐へ赴いてのち16年まで,旱魃の甚だしかった同地で満濃池をはじめ多数の溜池を築造した。また高松城下へ流れ込んでいた香東川を付け替えたという。国奉行として生駒藩政の要職にもあった。慶安1(1648)年には伊賀の雲井村に井手(用水)をつくり,のち山城・大和の津藩領の城和奉行となった。<参考文献>村山円治郎「西島八兵衛翁」(『碌々集』)
(木原溥幸)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報