日本歴史地名大系 「羽立町」の解説
羽立町
はだちまち
東に
享保七年(一七二二)の能代町絵図(能代市役所蔵)には七郎右衛門町と記されるが、同一三年の能代町絵図(能代市役所蔵)には羽立町とある。寛保元年(一七四一)の「代邑聞見録」には初立町とあって、寛文年間(一六六一―七三)に建置し七郎右衛門町と称したが、延宝年間(一六七三―八一)に初立町となったとある。
御用当座覚(三輪家文書)によると、初立町の軒数・間口裏行は、南側に一四軒で、間口は二丈七寸が七軒、一丈三寸から一丈五尺五寸余が六軒、三丈四尺五寸が一軒、裏行は二五間余から二七間余まで。北側は二〇軒で、間口は二丈七寸が五軒、一丈三尺八寸が三軒、一丈三寸五分が一二軒で、裏行は二〇間九尺前後。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報