日本歴史地名大系 「老手村」の解説 老手村おいてむら 長崎県:長崎市福田村老手村中世にみえる郷村で、彼杵(そのき)庄のうち。のち地頭職を得ていた福田氏により福田(ふくだ)と改称されたという。治承四年(一一八〇)一一月二八日の惣政所僧等定使職補任状写(福田文書、以下同文書)に「生手・手隈」とみえ、定使職に平包守が補任された。文治二年(一一八六)肥前藤津(ふじつ)庄(現佐賀県鹿島市など)の沙汰人藤七助兼に殺された父包盛(包守)に替わって包貞(兼貞)が「彼杵庄内手隈野并老手村」の地頭職に補任されており、御家人になっていたことが知られる(同年八月一三日源頼朝下文写)。兼貞は同四年の貴賀島攻めの際に戦死したようで、同五年舎弟の兼信が「手隈野并老手村」の地頭職を得たが(同年二月八日源頼朝下文写)、同文書は検討を要する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by