日本歴史地名大系 「耳取城跡」の解説 耳取城跡みみとりじようあと 長野県:小諸市耳取村耳取城跡[現在地名]小諸市耳取 古城耳取大井氏の居城で、鷹取(たかとり)城ともよばれる。西は千曲川に対し、田切地形をも利用した平山城で、本丸から三の丸まで、ほかに観音堂曲輪など幾つかの曲輪を有したが、現在はほとんど畑地化している。大井(おおい)庄地頭大井氏が繁栄し、支族大井行氏がここに居を構えて築城したのが、弘安年中(一二七八―八八)といわれ、岩村田(いわむらだ)(現佐久市岩村田)の宗家が衰退するなかで、宗家とは異なる動きを示したのが大井光矩である。光矩は応永七年(一四〇〇)信濃国守護小笠原長秀と村上満信を耳取城に招き、守護権確立の協議を行わせたが、両者相争うに至るとその調停を行っている(大塔物語・信州大塔軍記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by