聖徳太子の墓(読み)しょうとくたいしのはか

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「聖徳太子の墓」の意味・わかりやすい解説

聖徳太子の墓
しょうとくたいしのはか

大阪府南河内郡太子町叡福寺境内にある聖徳太子と母穴穂部間人 (あなほべのはしひと) 皇后と太子妃膳部 (かしわで) 皇女合葬した墓。磯長墓 (しながのはか) ともいう。円墳で,切り石を用いた横穴式石室で,奥室に石棺乾漆棺が安置され,中央の石棺が穴穂部間人皇后,向って左が妃,右が太子の棺であるといわれている。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

苦肉の策

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android