日本歴史地名大系 「育波村」の解説 育波村いくはむら 兵庫県:津名郡北淡町育波村[現在地名]北淡町育波斗(と)ノ内(うち)村の西にあり、北西は海に面する。西部を東山寺(とうさんじ)山系や常隆寺(じようりゆうじ)山系の水を集めた育波川が北西流し、海に入る。海岸沿いを西浦(にしうら)街道が走る。「和名抄」記載の津名郡育波郷の遺称地。貞応二年(一二二三)の淡路国大田文に育波の地名はみえないが、「経俊卿記」正嘉元年(一二五七)四月一九日条には、岡崎三品(源資雅)が「育波庄」について、なんらかの訴えを院に起こしたことが記されている。資雅の父は承久の乱で処刑された源有雅で、有雅が育波庄と同じ津名郡内の机(つくえ)の領家であったことから(「和泉隆池院鐘縁起」久米田寺文書)、岡崎家が育波・机を管領していたとも考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by