育英館跡(読み)いくえいかんあと

日本歴史地名大系 「育英館跡」の解説

育英館跡
いくえいかんあと

[現在地名]須佐町大字須佐 横屋丁

現在育英小学校の敷地に旧門が残る。

享保年間(一七一六―三六)須佐村を領した益田元道が家臣品川鶴州に命じて開いた、家臣のための教育機関。鶴州は、京都で伊藤東涯に師事し、帰郷後は古学を唱道したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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