富永有隣(読み)とみなが・ゆうりん

朝日日本歴史人物事典 「富永有隣」の解説

富永有隣

没年:明治33.12.20(1900)
生年:文政4.5.14(1821.6.13)
幕末の長州(萩)藩士。藩校明倫館に学び小姓役。狷介といわれた性格から親戚・同僚の反感を受け,その謀により嘉永5(1852)年見島に流され,翌年萩城下の野山獄に送られる。獄中吉田松陰と知り合い,出獄後,松下村塾に招かれた。松陰の逮捕ののち塾を去る。慶応2(1866)年第2次長州征討に第二奇兵隊の一員として参軍。のち維新政府の開化政策に不満を高め,明治2(1869)年,藩の軍政改革に反対する脱隊兵士の首謀者となる。鎮圧され諸国を逃亡,同10年捕縛され東京石川島監獄に入る。同17年出獄,郷里の妹の婚家に身を寄せ子弟の教育に当たった。国木田独歩『富岡先生』のモデルといわれる。

(井上勲)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「富永有隣」の解説

富永有隣 とみなが-ゆうりん

1821-1900 幕末-明治時代の武士,教育家。
文政4年5月14日生まれ。長門(ながと)(山口県)萩藩士。山県太華(やまがた-たいか)の門人。野山獄中で吉田松陰を知り,のち松下村塾でおしえる。明治2年藩の兵制改革に反対して脱隊騒動を指導,12年東京の石川島監獄につながれる。17年出獄,19年帰郷し,帰来塾をひらいた。明治33年12月20日死去。80歳。名は徳,悳彦。通称弥兵衛。号は陶峰,履斎,蘇芳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の富永有隣の言及

【松下村塾】より

…松下村塾の双璧とみなされる久坂玄瑞高杉晋作が入門したのは57年と思われる。この年,松陰は獄中で知り合った富永有隣が出獄したのを迎えて松下村塾の師とした。杉家宅地内にあった小屋を修補して塾舎としたのもこの年である。…

※「富永有隣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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