朝日日本歴史人物事典 「富永有隣」の解説
富永有隣
生年:文政4.5.14(1821.6.13)
幕末の長州(萩)藩士。藩校明倫館に学び小姓役。狷介といわれた性格から親戚・同僚の反感を受け,その謀により嘉永5(1852)年見島に流され,翌年萩城下の野山獄に送られる。獄中で吉田松陰と知り合い,出獄後,松下村塾に招かれた。松陰の逮捕ののち塾を去る。慶応2(1866)年第2次長州征討に第二奇兵隊の一員として参軍。のち維新政府の開化政策に不満を高め,明治2(1869)年,藩の軍政改革に反対する脱隊兵士の首謀者となる。鎮圧され諸国を逃亡,同10年捕縛され東京石川島監獄に入る。同17年出獄,郷里の妹の婚家に身を寄せ子弟の教育に当たった。国木田独歩『富岡先生』のモデルといわれる。
(井上勲)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報