改訂新版 世界大百科事典 「胡適思想批判」の意味・わかりやすい解説
胡適思想批判 (こてきしそうひはん)
新中国の成立後,胡適に対して行われた批判運動。社会主義の知識人ならば,胡適の奉じたプラグマティズムをブルジョアジーの観念論として批判しなければならないという教条が,つねに先行するものとして,今なお中国知識人に覆いかぶさっている。過去2回にわたって胡適を批判する大きな運動があった。最初は,1951年12月の北京大学での胡適批判座談会を中心とするもの。次は,《紅楼夢研究》批判の発展として,54年から55年にかけておこなわれたもの。胡適を批判することによって,自分たちの社会主義的意識変革を達成するはずであったこの批判運動も,実際には,胡適の政治的道徳的言動を非難したものが多く,胡適の思想と批判者たる自分の位置づけが甘く,ただ自分の身の潔白を証明する言論に終わっている。《胡適思想批判論文彙編》全8冊の内容も,郭沫若の54年12月8日の発言やハリー・ウェルズの《実用主義--帝国主義的哲学》(中国語訳)を下敷きにした意見がほとんどで,胡適の多方面における活躍と影響とを印象づける。
執筆者:萩野 脩二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報