理論的にせよ実践的にせよ、観念あるいは観念的なものを実在的あるいは物質的なものに優先するとみなす立場を観念論といい、実在論あるいは唯物論に対立する用語として使われる。
[坂部 恵]
観念論者idealistの語が最初に用いられたのは、17世紀末のライプニッツの一書簡においてであるといわれるが、ここでは、この語は、唯物論者であるエピクロスに対してプラトンを形容する語として導入されている。すなわち、物質を実在とするエピクロスに対して、イデアないし形相を真の実在とし、事物の本質規定とみなすプラトンの立場が観念論的なものとみなされたのである。しかし、中世このかた、こうしたプラトン主義の立場は、唯名論との対比において実在論とよばれたり、あるいは形相論として特徴づけられるのが一般であり、観念論の用語は、むしろ、観念を意識内容ないし表象とみなす中世末期の唯名論から、近世哲学での新たな人間中心的認識論の登場による時代の問題状況の変化に伴って、その影響を少なくとも暗に受けつつ、導入されてきたとみることができるであろう。事実、これ以後、観念論の用語は、人間の心の内の観念と区別された外界あるいは物質的世界の実在を認めるか認めないかをつねに一つのめどとして使われるようになるのである。
[坂部 恵]
有名な「存在するとは知覚されること」という命題に集約されるように、外界ないし物質的世界の実在を否定して、人間のすべての認識の働きを心の内の観念に還元したバークリーの立場が、18世紀においては、しばしば、観念論を代表するものとみなされ、少なからぬ場合、さまざまな批判の対象ともなった。バークリーの立場は、前記のような主張をとりわけて取り出していえば、主観的観念論としていちおう類型化することができる。しかし彼は、一方で、人間個々人の主観のみならず、普遍的な神の心への観念の現前というマルブランシュにも通じる思考のモチーフをもあわせもっていたのであり、この点では、むしろプラトン主義の正統に直結する要素をあわせ考えるのが妥当であろう。むしろ、世界のすべてを「生への暗い意志」の生み出す表象にほかならぬとした、後のショーペンハウアーの哲学のほうが、ある意味では主観的観念論の名にふさわしい。
[坂部 恵]
カントは、外界ないし物質的世界としての自然を、空間・時間、純粋悟性概念(カテゴリー)など、人間の認識主観のア・プリオリ(先天的)な認識の諸形式に従って構成され、その限りでは客観的妥当性をもつ「現象」とみなす超越論的観念論の立場を打ち出して、近世観念論の展開に一時期を画した。これは、近世の厳密学としての数学的自然科学の普遍性を救いつつ、その認識の有効性の範囲を批判的に限定する意図から出たものであり、「現象」の背後に「物自体」を想定し、あるいは「超越論的観念論は経験的実在論にほかならない」とするなど、バークリーの観念論とは一線を画するものである。
[坂部 恵]
カントの「物自体」の考えを批判し、むしろ彼の唱道した実践的・自律的主体としての人間を宇宙そのものの展開の根本原理としての「自我」にまで高めたフィヒテの立場は、主体の自発性、自律、自由を重んずるゆえに倫理的観念論として特徴づけられる。また、同じく、カントの有限主義を捨てて、美的創造や美的直観に自然世界の展開の究極をみたシェリングの立場は、美的観念論の名にふさわしい。さらに、自然的、歴史的を含めた世界の展開を観念あるいは絶対的精神の弁証法的自己展開とみなすヘーゲルの立場は、ときに絶対的観念論の名でよばれる。以上3人の哲学者によって展開された「ドイツ観念論」の哲学においては、「観念」のもつプラトン以来の原型ないし規範の意味がいずれも強く表面に出されており、観念論は、ここでは理想主義の訳語をあてられることがまれではない。
[坂部 恵]
近世以降の観念論は、つねに実証科学の展開と結び付いた唯物論と対抗関係に置かれてきた。19世紀の実証主義的・科学主義的唯物論、マルクス主義の弁証法的唯物論などが観念論批判の主要な潮流であった。確かに、観念論はそれが極端に走りすぎた場合、ともすれば現実についての知識を歪曲(わいきょく)し、あるいはそれに対して故意に目を閉ざすといった反動的役回りをさまざまなレベルで演じる傾向をもっている。とはいえ、人間が自由と自発性をもって未来に向かって開かれた動物である以上、なんらかの形での観念論的なものとのかかわりなしには生きることはありえないであろう。
[坂部 恵]
『斎藤忍随著『人類の知的遺産7 プラトン』(1982・講談社)』▽『バークリー著、大槻春彦訳『人知原理論』(岩波文庫)』▽『カント著、篠田英雄訳『純粋理性批判』(岩波文庫)』
観念を原理とする哲学上の立場。実在論,唯物論,現実主義に対立する。明治10年代,《哲学字彙》では,ideaの訳語に仏教用語の観念を当て,idealismは唯心論と訳したが,idealismを観念論と訳すのは明治10年代の後半,とりわけ30年代からである。この観念という訳語は(1)客観的実在としての形相すなわちイデア,(2)主観的表象としての想念,概念,考えすなわちアイディアないし観念,(3)理性の把握しうる概念すなわちイデーないし理念,(4)現実に対するアイディアルすなわち理想などを包括しており,これに応じて観念論も客観的観念論,主観的観念論,理想主義に大別しうる。西洋では実在論,実念論と比較して観念論は新しい用語であり,17世紀末から18世紀以来の成立である。当初,感性的質料を守る質料主義者,唯物論者に対して形相を原理とする形相主義者が観念論者とされた。この型の観念論は形相主義,イデア主義としての客観的観念論であり,実在論と言いうるが,イデアの認識に関しては主観なしにはありえない。他方,17世紀以来の英仏哲学では,主観ないし心の表象,意識内容としてのアイディア,イデーが観念と呼ばれ,〈在るということは知覚されることであり心は知覚の束である〉と説くG.バークリーの主観的観念論が成立する。この型の観念論は主観内の観念の外部の事物を扱わぬ傾向があり,実在論や唯物論の非難の対象になる。カントは理論的認識を現象界に制限して経験的実在論を説く反面,認識を可能にする条件を主観の形式すなわち主観における客観的形相の分析に求め,形式的観念論ないし先験的観念論を主張,リッケルトやE.ラスクの客観主義的観念論の先駆となる。またイデアは希求と願望の理想であり,近世的には理性概念すなわち理念として感性界に実現されるべき目標となる。ここに理想の追究ないし理念の実現を目ざす理想主義が近世の観念論の一つの型となり,フィヒテの倫理的観念論を代表とする。日本では左右田喜一郎と桑木厳翼とがカントとリッケルトの観念論を文化主義として継承した。
執筆者:茅野 良男
インド思想の一般的な特徴は,それが必ずなんらかの宗教体験の上に立って展開されているということであり,この点をはずしてそれが観念論か否かを問うのは危険である。ただ,あえて言うならば,インド思想のほとんどは観念論だということになろう。たとえば,《ウパニシャッド》文献に端を発するベーダーンタ学派,サーンキヤ学派の考えによれば,われわれが経験するこの世界は,われわれが自己の本体(アートマン)が何であるかを知らないこと(無知,無明)がきっかけとなって展開したものであり,つまりわれわれの日常的認識(分別,迷妄)が作り出したものであるとする。これは仏教でも基本的には同様であり,《華厳経》の〈三界唯心〉,瑜伽行派の〈唯識無境〉〈識の転変〉なども,日常生活における主客対立の見方である〈虚妄分別〉の心作用がこの世界を形成すると説いている。世界はいわば〈観念〉の所産であることになる。したがって,自己についての真実にめざめたとき,われわれはこの苦しみの経験世界を脱却できる。これが解脱である。
これに対して,チャールバーカ,ローカーヤタ派などと称せられる人々は,世界も心も物質の所産であると唯物論的な考えを表明している。ウパニシャッドの哲人ウッダーラカ・アールニ,原子論を唱えるニヤーヤ学派,バイシェーシカ学派にもそうした傾向が皆無ではないが,それでもなおこの経験世界を迷妄の所産とし,そこからの解脱を希求するなど,全体としては観念論というべきである。
執筆者:宮元 啓一
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…〈理想ideal〉を実現の課題ないし目標とする立場で,現実主義,現在主義に対立する。アイデアリズムともいう。理想は明治10年代以来の訳語であるが,理想主義は大正時代のそれであり,明治40年代には理想論と訳されていた。理念(イデー)も理想もイデアに基づき,範型,典型,完全性の意味をもつが,理念は現実を超えて君臨すればよく,必ずしも実現されて実在性を帯びる必要はない。しかし理想はカントによれば〈個別化された理念〉であり,一般に実現が期待されるか,現実に対する規準として働くかであって,空想から区別される。…
…原語は,空気,風,呼吸のち霊気,精霊,精神を意味するラテン語spiritusにさかのぼり,今日では唯物論に対して精神ないし精神的なものを原理または実在とする立場をいう。日本では,明治期には〈心即理也〉という見方からidealismの訳語として多く用いられたが,観念論と唯心論とを訳し分け,前者を実在論,後者を唯物論と対比するのは,20世紀初頭以来である。カントは独断的唯心論者とは,〈思惟する実体を自我において直接に知覚しうると考え,この思惟する実体の統一性が人格の不変の統一性を成す〉と主張する者であり,伝統的な合理心理学の説く非物体的・不朽的・人格的な実体としての精神Seeleの精神性Spiritualitätを肯定する者として,物質のみを認める唯物論者を退けるのと同様にこれを退けた。…
※「観念論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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