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胡適 こてきHu Shi

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

胡適
こてき
Hu Shi

[生]光緒17(1891).12.17. 上海
[没]1962.2.24. 台湾,基隆
中国の学者,教育家。「こせき」とも読む。字は適之。宣統2 (1910) 年アメリカに留学,1917年帰国して北京大学教授となり,その後各大学の要職を歴任,38年駐米大使となった。抗日戦争中もアメリカに滞在,46年帰国して北京大学学長となったが,内戦に際してまたアメリカに亡命,その後台湾政府の外交顧問となった。 17年に口語文学を提唱して文学革命の口火を切ったが,やがて社会主義に反対し,かつて批判した伝統思想を擁護するようになり,のちに国民党と結びついた。近代主義の代表として,その影響は根強いものがあり,解放後の 54年には大規模な胡適批判運動が起ってその一掃が試みられた。著作集『胡適文存』。

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デジタル大辞泉の解説

こ‐せき【胡適】

こてき(胡適)

こ‐てき【胡適】

[1891~1962]中国の文学者思想家・教育行政家。績渓(安徽(あんき)省)の人。字(あざな)は適之(てきし)。米国に留学し、デューイに学び、帰国後、北京大学教授。五・四運動のころから白話文学を提唱。第二次大戦中は駐米大使。中華人民共和国の成立で米国に亡命、のち台湾で没。著「中国哲学史大綱」「白話文学史」「胡適文存」など。こせき。フー=シー。

フー‐シー【胡適】

こてき(胡適)

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百科事典マイペディアの解説

胡適【こてき】

近代中国の知識人。辛亥革命をはさんで7年間アメリカに留学し,コーネル大学で農学を,コロンビア大学ではJ.デューイに師事して文学・哲学を修めた。1917年帰国後は口語文を基礎とする標準語が国民国家を創出するという文化戦略を展開,陳独秀魯迅らと共に文学革命の旗手となり,文芸,学術,そして教育の刷新に奔走した。
→関連項目新青年(中国)白話聞一多文学革命北京大学

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世界大百科事典 第2版の解説

こてき【胡適 Hú Shì】

1891‐1962
現代中国の学者,思想家。字は適之(てきし)。〈こせき〉とも読まれる。安徽省績渓県出身で上海の生れ少年期厳復梁啓超著述,とくに《天演論》《新民説》に感激し,新思想の洗礼を受けた。1910年(宣統2),アメリカに留学,最初コーネル大学,ついでコロンビア大学に学び,デューイ哲学から深い影響を受け,《古代中国における論理学的方法の発展》(英文,1917,その漢訳《先秦名学史》を出版)で哲学博士を得た。

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大辞林 第三版の解説

こてき【胡適】

〔「こせき」とも〕 (1891~1962) 中国の文学者。上海生まれ。アメリカでデューイに学ぶ。1917年に口語による文学を提唱、新文化革命の先導者の一人となる。のちマルクス主義に反対し、伝統思想擁護ようごの立場に移った。48年、アメリカに亡命。著「白話文学史」「中国哲学史大綱」など。フーシー。

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世界大百科事典内の胡適の言及

【胡適】より

…1938年,アメリカ大使に任ぜられ,一時は蔣介石に接近したものの,1949年新中国成立後はアメリカに亡命して,なお自由主義の立場を崩さず,雷震らの《自由中国》創刊に参加,58年台湾に帰り中央研究院院長となったが,なお蔣介石とは一線を画していた。彼の著述は《胡適文存》第1~4集,《胡適選集》13冊に収められている。【坂出 祥伸】。…

【《紅楼夢研究》批判】より

…批判論文を採用するかどうかの手続問題から,馮雪峰(ふうせつぽう)らの《文芸報》編集部自己批判をも引きおこした。胡適の《紅楼夢考証》(新紅学)の系統を継ぐ兪平伯(ゆへいはく)は《紅楼夢研究》《紅楼夢簡論》などで,《紅楼夢》を色即是空を表す観念小説で,作者曹雪芹の嘆きの自伝とみなした。山東大学を卒業したばかりの李希凡,藍翎(らんれい)は,〈《紅楼夢簡論》およびその他について〉を書き,兪平伯はリアリズムの批判原則を離れ,明確な階級的観点を離れていると批判し,《紅楼夢》を当時の封建社会に対する反抗の書とし文学の分析に“人民性”を導入した。…

【五・四運動】より

…前者は辛亥革命後の軍閥支配に抗して中国の出路をもとめていたインテリたちである。もっとも有名なのは,《新青年》に拠って新文化運動を展開した陳独秀,李大釗(りたいしよう),胡適,魯迅らのグループである。彼らは,民主と科学の旗をかかげ,中国の封建倫理の中核である孔子の教えを根底から否定しようとした(打倒孔家店)。…

【国故整理運動】より

…そうした風潮に対して,19年の五・四運動の前後から,中国固有の伝統思想や文化を学術的立場から新たに再検討し再評価しようとする運動が出現,それを国故整理運動という。国故整理の動きは,早くに清末の章炳麟を元祖とするが,より直接的には,17年にアメリカから帰国して北京大学教授となった26歳の胡適が書いた《中国哲学史大綱》(上巻,1919)を創始とし,およそ四つの分野からなる。第1は,胡適や梁啓超の《先秦政治思想史》に代表される先秦の諸子百家および仏教などについての思想史的研究。…

【中国文学】より

…【小川 環樹】
【文学革命から人民文学へ(20世紀)】
 中国の近代文学は,1910年代末の文学革命によって幕を開けた。そのきっかけを作ったのは,胡適が17年1月に雑誌《新青年》に発表した〈文学改良芻議〉で,形骸化した文語文にかわって俗語・俗字を使用し,〈今日の文学〉をつくろうというその主張は,大きな衝撃を与えた。ついで,陳独秀が〈文学革命論〉を発表してこれに呼応し,〈国民文学〉〈写実文学〉〈社会文学〉を提唱するにおよんで,〈文学革命〉は時代の合言葉となった。…

【白話詩】より

…この雑誌はのちに中国共産党の機関誌となったが,当初は自由主義を唱え,封建的重圧からの人間解放,とくに儒教倫理と家族制度の打倒を目標としていた。これに17年1月,アメリカ留学中の胡適が〈文学改良芻議〉を寄稿した。彼は精神の自由な発展を望むなら,まず文学を古い文語体のもつ桎梏から解放し,自由な口語を駆使して新しい文学を創造すべきであると主張した。…

【白話文運動】より

…しかし,文語の特殊な権威が王朝体制の〈礼楽〉秩序の根幹をなす〈文章〉観念に由来した以上,口語文が正統性をかちえるためには,王朝制自体の崩壊を前提とする文学言語の解放が必須であった。1917年,胡適の〈文学改良芻議〉に始まった文学革命における口語文学運動がそれを担った。これが狭義の〈白話文運動〉である。…

【文学革命】より

…中国で1917年,アメリカ留学中の胡適が《新青年》誌に寄せた論文〈文学改良芻議〉に端を発した白話(口語)文学運動。胡適論文は,文語表現が古人の模倣に終始し,対句や典故,常套語を濫用し形式主義に陥っているとして批判,いかなる時代もその時代独自の文学を創造すべきであり,俗字俗語をもまじえた言文一致の白話文学こそ今日の文学でなければならないと提唱し,その主張を8項目にまとめたものである。…

※「胡適」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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