胡適(読み)こてき(英語表記)Hú Shì

精選版 日本国語大辞典 「胡適」の意味・読み・例文・類語

こ‐てき【胡適】

(「こせき」とも) 中国の思想家。字(あざな)は適之。上海生まれ。アメリカに留学し、帰国後北京大学教授に就任。一九一七年の文学革命を指導し、口語運動を唱導した。四六年北京大学長。新中国成立直前にアメリカに亡命し、のち台湾の国民政府の要職をつとめた。主著「白話文学史」「胡適文存」「中国哲学史大綱」など。(一八九一‐一九六二

こ‐せき【胡適】

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デジタル大辞泉 「胡適」の意味・読み・例文・類語

こ‐てき【胡適】

[1891~1962]中国の文学者・思想家・教育行政家。績渓(安徽あんき省)の人。あざな適之てきし。米国に留学し、デューイに学び、帰国後、北京大学教授。五・四運動ころから白話文学を提唱。第二次大戦中は駐米大使。中華人民共和国の成立で米国に亡命、のち台湾で没。著「中国哲学史大綱」「白話文学史」「胡適文存」など。こせき。フー=シー。

こ‐せき【胡適】

こてき(胡適)

フー‐シー【胡適】

こてき(胡適)

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改訂新版 世界大百科事典 「胡適」の意味・わかりやすい解説

胡適 (こてき)
Hú Shì
生没年:1891-1962

現代中国の学者,思想家。字は適之(てきし)。〈こせき〉とも読まれる。安徽省績渓県出身で上海の生れ。少年期に厳復,梁啓超著述,とくに《天演論》《新民説》に感激し,新思想の洗礼を受けた。1910年(宣統2),アメリカに留学,最初コーネル大学,ついでコロンビア大学に学び,デューイ哲学から深い影響を受け,《古代中国における論理学的方法の発展》(英文,1917,その漢訳《先秦名学史》を出版)で哲学博士を得た。1917年帰国し北京大学哲学科教授となる。この年発表された《文学改良芻議》は,文学革命の発火点となった。また,従来の儒学を正統とする価値観を脱して論理的思考の発達を考案した《中国哲学史大綱》(上巻,1919刊)を書いて学術界に強い衝撃を与えた。五・四新文化運動において,彼は陳独秀李大釗(りたいしよう)とともに,その有力な指導者として尊敬されたが,運動がマルクス主義的傾向を強くするにともなって,それを批判し,〈問題を多く研究し,主義を論ずることを少なくせよ〉ととなえて改良的立場を鮮明にした。1931年,満州事変がおこると,週刊独立評論》を創刊し,愛国と侵略非難の筆をふるい,民主立憲を主張した。

 学術面では《戴東原の哲学》(1925)で,18世紀の戴震の哲学の中に,西欧近代の科学的精神と同質のものを指摘した。1938年,アメリカ大使に任ぜられ,一時は蔣介石に接近したものの,1949年新中国成立後はアメリカに亡命して,なお自由主義の立場を崩さず,雷震らの《自由中国》創刊に参加,58年台湾に帰り中央研究院院長となったが,なお蔣介石とは一線を画していた。彼の著述は《胡適文存》第1~4集,《胡適選集》13冊に収められている。
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百科事典マイペディア 「胡適」の意味・わかりやすい解説

胡適【こてき】

近代中国の知識人。辛亥革命をはさんで7年間アメリカに留学し,コーネル大学で農学を,コロンビア大学ではJ.デューイに師事して文学・哲学を修めた。1917年帰国後は口語文を基礎とする標準語が国民国家を創出するという文化戦略を展開,陳独秀魯迅らと共に文学革命の旗手となり,文芸,学術,そして教育の刷新に奔走した。1930年代には,国民党政府のブレーンとして中華民国建設に尽力,人民共和国成立(1949年)直前にアメリカに亡命した。共産党政権は1954年に胡適批判キャンペーンを張り,文化大革命終了まで〈反動派〉として位置づけてきた。1970年代末の開放政策でまず学術方面で再評価され,1980年代後半には相次いで評伝や年譜が刊行されるなどしたが,1989年〈血の日曜日〉事件(天安門事件)以後の反動化で,売国的全面欧化論の元祖という批判もなされている。
→関連項目新青年(中国)白話聞一多文学革命北京大学

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「胡適」の解説

胡適(こせき)
Hu Shi

1891~1962

中国民国時代の文学理論家,哲学者,教育家。安徽(あんき)省続渓の人。アメリカに留学してデューイプラグマティズムに傾倒する。帰国後,若くして北京大学教授となり,白話(はくわ)運動を提唱,文学革命を主導した。五・四運動後は反共の立場になった。1938年駐米大使となり,アメリカの対日外交を左右した。46年中国に戻るが,49年アメリカに亡命,58年以後台湾に居住して中央研究院院長在職中に病死した。中華人民共和国でも80年代以降再評価がなされつつある。

胡適(こてき)

胡適(こせき)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「胡適」の意味・わかりやすい解説

胡適
こてき
Hu Shi

[生]光緒17(1891).12.17. 上海
[没]1962.2.24. 台湾,基隆
中国の学者,教育家。「こせき」とも読む。字は適之。宣統2 (1910) 年アメリカに留学,1917年帰国して北京大学教授となり,その後各大学の要職を歴任,38年駐米大使となった。抗日戦争中もアメリカに滞在,46年帰国して北京大学学長となったが,内戦に際してまたアメリカに亡命,その後台湾政府の外交顧問となった。 17年に口語文学を提唱して文学革命の口火を切ったが,やがて社会主義に反対し,かつて批判した伝統思想を擁護するようになり,のちに国民党と結びついた。近代主義の代表として,その影響は根強いものがあり,解放後の 54年には大規模な胡適批判運動が起ってその一掃が試みられた。著作集『胡適文存』。

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世界大百科事典(旧版)内の胡適の言及

【胡適】より

…1938年,アメリカ大使に任ぜられ,一時は蔣介石に接近したものの,1949年新中国成立後はアメリカに亡命して,なお自由主義の立場を崩さず,雷震らの《自由中国》創刊に参加,58年台湾に帰り中央研究院院長となったが,なお蔣介石とは一線を画していた。彼の著述は《胡適文存》第1~4集,《胡適選集》13冊に収められている。【坂出 祥伸】。…

【《紅楼夢研究》批判】より

…批判論文を採用するかどうかの手続問題から,馮雪峰(ふうせつぽう)らの《文芸報》編集部自己批判をも引きおこした。胡適の《紅楼夢考証》(新紅学)の系統を継ぐ兪平伯(ゆへいはく)は《紅楼夢研究》《紅楼夢簡論》などで,《紅楼夢》を色即是空を表す観念小説で,作者曹雪芹の嘆きの自伝とみなした。山東大学を卒業したばかりの李希凡,藍翎(らんれい)は,〈《紅楼夢簡論》およびその他について〉を書き,兪平伯はリアリズムの批判原則を離れ,明確な階級的観点を離れていると批判し,《紅楼夢》を当時の封建社会に対する反抗の書とし文学の分析に“人民性”を導入した。…

【五・四運動】より

…前者は辛亥革命後の軍閥支配に抗して中国の出路をもとめていたインテリたちである。もっとも有名なのは,《新青年》に拠って新文化運動を展開した陳独秀,李大釗(りたいしよう),胡適,魯迅らのグループである。彼らは,民主と科学の旗をかかげ,中国の封建倫理の中核である孔子の教えを根底から否定しようとした(打倒孔家店)。…

【国故整理運動】より

…そうした風潮に対して,19年の五・四運動の前後から,中国固有の伝統思想や文化を学術的立場から新たに再検討し再評価しようとする運動が出現,それを国故整理運動という。国故整理の動きは,早くに清末の章炳麟を元祖とするが,より直接的には,17年にアメリカから帰国して北京大学教授となった26歳の胡適が書いた《中国哲学史大綱》(上巻,1919)を創始とし,およそ四つの分野からなる。第1は,胡適や梁啓超の《先秦政治思想史》に代表される先秦の諸子百家および仏教などについての思想史的研究。…

【中国文学】より

…【小川 環樹】
【文学革命から人民文学へ(20世紀)】
 中国の近代文学は,1910年代末の文学革命によって幕を開けた。そのきっかけを作ったのは,胡適が17年1月に雑誌《新青年》に発表した〈文学改良芻議〉で,形骸化した文語文にかわって俗語・俗字を使用し,〈今日の文学〉をつくろうというその主張は,大きな衝撃を与えた。ついで,陳独秀が〈文学革命論〉を発表してこれに呼応し,〈国民文学〉〈写実文学〉〈社会文学〉を提唱するにおよんで,〈文学革命〉は時代の合言葉となった。…

【白話詩】より

…この雑誌はのちに中国共産党の機関誌となったが,当初は自由主義を唱え,封建的重圧からの人間解放,とくに儒教倫理と家族制度の打倒を目標としていた。これに17年1月,アメリカ留学中の胡適が〈文学改良芻議〉を寄稿した。彼は精神の自由な発展を望むなら,まず文学を古い文語体のもつ桎梏から解放し,自由な口語を駆使して新しい文学を創造すべきであると主張した。…

【白話文運動】より

…しかし,文語の特殊な権威が王朝体制の〈礼楽〉秩序の根幹をなす〈文章〉観念に由来した以上,口語文が正統性をかちえるためには,王朝制自体の崩壊を前提とする文学言語の解放が必須であった。1917年,胡適の〈文学改良芻議〉に始まった文学革命における口語文学運動がそれを担った。これが狭義の〈白話文運動〉である。…

【文学革命】より

…中国で1917年,アメリカ留学中の胡適が《新青年》誌に寄せた論文〈文学改良芻議〉に端を発した白話(口語)文学運動。胡適論文は,文語表現が古人の模倣に終始し,対句や典故,常套語を濫用し形式主義に陥っているとして批判,いかなる時代もその時代独自の文学を創造すべきであり,俗字俗語をもまじえた言文一致の白話文学こそ今日の文学でなければならないと提唱し,その主張を8項目にまとめたものである。…

※「胡適」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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